約 2,288,036 件
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5338.html
特別前日に何かをしたというわけではないのに朝が辛いというのは冬場ではデフォであり、 高校生になった息子もそれは例外ではないようだ。 「あんた達、さっさとご飯食べないと遅刻するわよ!」 …前言撤回だ。 我が妻、ハルヒにとっては今が冬場の辛い朝だろが何だろうが関係ないようだ。 「なんで母さんは朝からそんなに元気なんだよ…」 息子よ、それは俺も同棲を始めた頃から思っていたが、今そうやってハルヒに絡むと… 「何言ってんの! あんた達が弱すぎるのよ。それにそんなこと言ってる暇があるなら とっととご飯を胃袋に詰め込みなさい」 ご愁傷様だな。 後、あんた達って俺も入ってるんだな。 「ちょっとキョン、あんたもボーっとしてないでさっさとしなさい! 親が息子に負けてどうすんの」 へいへい分かりましたよ。 「じゃあ、言ってきま~す」 「あ、コラ待ちなさい!」 残念だな息子よ。 本日の脱出ミッションも失敗したようだな。 「や、止めてくれ。何時も言ってるだろ母さん。俺はもう高校生だ。だから、それはもう駄目だって」 「何言ってんのよ。高校生になろうが大学生になろうとあんたはあたしの子供なの。 だからこれはあんたの義務でもあるのよ!」 世界の何処にそんな義務があるのかね? 「やれやれ、とっととしてくれ…」 おい、それは俺の口癖だ。 俺のアイデンティティーだ。 勝手に使うのはゆるさんぞ。 「誰かさんと違って素直でよろしい… チュッ。はいっ、じゃあしっかり勉強してくるのよ!」 一言多かったですよハルヒさん。 「へいへい」 お、そろそろ俺も行かんとな。 リアルに遅刻しそうだ。 「じゃあハルヒ、俺も行ってくるよ」 「…………」 勘違いしないでいただきたい。 この三点リーダは万能宇宙人のものではない。 傍若無人ハイスペック奥様涼宮ハルヒのものである。 もとい、涼宮ではなかったな。 では何故そのハルヒがこんなに大量の三点リーダを発してるのかと言うと、 毎朝俺に課せられた義務が施行されるのを待っているからだ。 いや、義務でもあるが世界中で唯一俺に与えられた権利と言ったほうがいいな。 …しかし、何時ものことながら、こうして黙って俺を待っている時のハルヒは可愛いな。 もう、そこそこいい歳になるはずなんだがな… って早くしないと遅刻するっての! 「ハルヒ… チュッ。…そんじゃ行ってくるよ」 「…素直でよろしい。じゃあ、しっかり働いてらっしゃい!」
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4282.html
涼宮ハルヒ挙国一致内閣 国務大臣(敬称略) 内閣総理大臣 涼宮ハルヒ 内閣官房長官 古泉一樹 総務大臣 国木田 法務大臣 新川(内閣法制局長官兼務) 外務大臣兼沖縄及び北方対策担当大臣 喜緑江美里 財務大臣兼金融担当大臣 佐々木(内閣総理大臣臨時代理予定者第一位) 文部科学大臣 周防九曜 厚生労働大臣 朝比奈みくる 農林水産大臣 会長 経済産業大臣 鶴屋 国土交通大臣 藤原 環境大臣 谷口 防衛大臣 長門有希 国家公安委員会委員長 森園生 国務大臣以外の主な役職(敬称略) 内閣官房副長官(政務) 橘京子 内閣情報官兼内閣危機管理監兼内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当) 朝倉涼子 内閣広報官 妹 内閣広報室企画官 吉村美代子 内閣総理大臣秘書官(政務担当) 俺 ああ、なんというか、呉越同舟という言葉がぴったりな状況に陥ってしまった経緯については省略しよう。 まあ、要するに未曾有の国難ということで、対立していたSOS党と佐々木党が連立して挙国一致内閣を作ったということだ。 じゃあ、とりあえず、上から順番に説明しようか。 ハルヒが総理大臣なのは、当然だわな。何でも一番が好きなハルヒが二番以下の地位に甘んじるわけもない。SOS党は衆参両議院で第一党だから、その党首が総理大臣に選ばれるのは、普通に考えても当然だしな。 古泉は、どこまでいっても、ハルヒのフォロー役というわけだ。実質、この内閣を取り仕切っているのは、こいつということになる。ご苦労なことだ。 国木田は、総務大臣の役目を飄々とこなしている。昔からできるやつだったし、任せておいて問題はなかろう。 新川さんは、年齢構成が若すぎるこの内閣においては、御意見番的な存在だ。 喜緑さんは、あの薄い微笑で対外交渉をこなし、諸外国からはタフなネゴシエーターとして認識されている。 佐々木のところの括弧書きは、俗にいう「副総理」というやつだ。この国難の中で、財政金融をつかさどるのはかなりの激務だが、よくやってくれている。 九曜に文部科学大臣を任せるのは、日本の将来を担う子供たちのためを思うとおおいに不安なのだが……。教育行政が滞りなく遂行されることを祈るばかりだ。 朝比奈さんは、まさに適役だと思うね。ただ存在しているだけで、国民の福利厚生に絶大なる効果がありそうだ。 会長さん(俺はいまだに彼の本名を知らん。みんな会長って呼ぶしな)は、生徒会長時代に培った実務能力で、農林水産大臣の職務を難なくこなしている。 財界の重鎮である鶴屋さんは、まさに適材適所といったところ。あの明るい振る舞いで、日本の景気も明るくしてくれそうだ。 藤原とは個人的にはそりが合わんが、この国難の中ではそんなこともいってられん。嫌味なやつだが、仕事は真面目にこなす。ただ、協調性が足りないのが問題だわな。国土交通省は防災担当機関でもあるから、いざというときは他省庁との連携が重要なんだがなぁ。 なんで谷口が大臣なんぞになれたのか。まあ、ハルヒの気まぐれなんだろうが。環境行政が停滞しないことを祈る。 長門が防衛大臣を担う限り、日本の国防は安泰だ。ひたすらに頼もしい。ただ、仕事をさっさとすませて、国会図書館によく出没するという噂が絶えない。 森さんは、警察組織のトップ。彼女がにらみをきかせれば、日本の治安は安泰だぜ。一方で、「機関」を通じて裏社会も仕切っているという黒い噂が聞こえてきたりも……。 橘京子は、古泉と一緒に内閣を取り仕切っている。SOS党と佐々木党の呉越同舟状態をうまく切り盛りしていくためには、この二人の連携は非常に重要だ。だから、佐々木を異常なまでに持ち上げて、ハルヒの機嫌を損ねるのはやめてほしいのだが。 朝倉涼子は、内閣官房の中では、古泉、橘に次ぐ相当な実力者である。情報・危機管理・安全保障を一手に握ってるからな。本人は防衛大臣をやりたがってたんだが、暴走して他国に戦争でも吹っかけられたら困るので、裏方に収まった経緯がある。 最近朝比奈さんにそっくりになってきた俺の妹は、内閣広報官。これが意外に天職だったらしく、毎日楽しそうに仕事をしている。 ミヨキチは、妹の補佐役といったところだ。妹と仲良くやっているようで、大変結構なことである。 で、俺はハルヒの秘書官というわけだ。ハルヒに振り回される雑用係というポジションは、どこにいっても変わらないものらしい。まったく、やれやれだ。 首相官邸。 「佐々木さんが、涼宮さんに使われる立場なんてありえないのです。佐々木さんこそが首相にふさわしいのです」 「また蒸し返すんですか、あなたは」 橘京子と古泉一樹が、また口論している。 ここ最近、すっかりお馴染みになってしまった光景で、もはや口をはさもうとする者はいなかった。 「第二党が何をいったって、しょせんは負け惜しみですよ」 「今度の選挙では、必ず勝って見せるのです」 橘京子は、ほおを膨らませて不満顔だ。 「せいぜい、頑張ってください。それよりも、例の件、佐々木党内の取りまとめはしてくれたんでしょうね?」 「もちろんです」 国家公安委員会・警察庁。 森園生は、極秘とスタンプが押された報告書を読んでいた。日本国内を跳梁跋扈する国外の諜報員を「非合法に処理」した記録である。昔はスパイ天国などといわれた日本国であるが、森園生が陣頭指揮をとって対策を進めた結果、状況はだいぶ改善されつつあった。 もう一枚の紙を取り上げる。こちらは何もスタンプは押されてないが、極秘文書には違いなかった。なぜなら、それは「機関」の文書だから。 TFEIの動向。天蓋領域の端末には変化は見られないが、情報統合思念体の端末は増員され、政府組織の中に潜入していた。いつでも政府を乗っ取れる体制でありながら、彼女たちは何もしようとしない。観測任務を第一とする態度は不変である。 現在、政府を乗っ取っている立場である「機関」と橘京子の組織としては、TFEIたちのそのような態度は不気味ですらあった。 政府の国防・外交・危機管理を押さえているTFEIトップスリー、長門有希、喜緑江美里、朝倉涼子ですら、人間レベルでなしうる以上のことをしようとはしていない。そして、そのレベルですら完璧人間に近いのだから、文句のつけようもないのだ。 森園生は、二つの文書を丸めて灰皿に置くとライターで火をつけた。情報流出を防ぐ最も手っ取り早い方法だ。 「宇宙人たちは不干渉ということね。なら、未来人たちはどうかしら……?」 そのつぶやきを耳にした者は、誰もいなかった。 厚生労働省。 真面目に書類仕事をこなしている朝比奈みくるのもとに、藤原がやってきた。 彼は、入ってきた途端に盗聴防止装置を稼動させると、口を開いた。 「あんたは、このまま状況を座視してるつもりか?」 「当然でしょ。介入は許可されてないわ。藤原くんだって同じじゃないかしら?」 「何百万人もの人間が犠牲になるんだぞ。それを黙って見てるつもりか?」 朝比奈みくるは、簡易シミュレーターを取り出し稼動させた。 無数の曲線と数式と記号で構成された光の三次元樹形図が空中に展開される。 「実際、それを阻止しようと思えば、介入しなければならない時点は1249箇所。二人だけじゃ、手に負えないわよ。あからさまな規定事項破壊行為だし、介入が全部終わる前に私たちが始末されちゃうわ」 朝比奈みくるは、簡易シミュレーターをポケットにしまった。 光の樹形図が消え去る。 「あるべき未来を守るためには仕方ないわよ」 「そんな未来なんぞ糞食らえだ」 「藤原くんだって分かってるはずでしょ。私たちはこの悪しき世界を守るために存在する悪党だってことは」 「……」 藤原の顔が渋面を形作る。 「それが嫌なら、未来に帰って組織を抜けることね」 国立国会図書館。 読書にいそしんでいた長門有希のもとに、喜緑江美里と朝倉涼子がやってきた。二人とも半ステルスモード。図書館という空間に同化している長門有希はともかく、二人はこのような場所では目立ちすぎるからだ。 長門有希も、半ステルスモードに移行した。 「大規模な情報操作をしない限り、戦争は不可避。その旨は、既に報告済みである」 「私も同じです」 「私も同じよ。三人とも意見が一致するなんて、つまんないわね」 「情報統合思念体からの指令は、観測の継続。積極的な干渉の禁止、つまりは、不干渉原則の維持である」 「穏健派はしぶしぶ同意したみたいですけどね。戦況が悪化した場合に、涼宮ハルヒの力が暴走して危険を招くことを懸念しているようです」 「その方が情報爆発を観測できていいじゃないの」 朝倉涼子はあっけらかんとそう発言した。 「主流派は、今のところ急進派と同意見。ただし、情報統合思念体に危険が及ぶことになれば、穏健派とともに阻止することになるだろう。むしろ、気になるのは天蓋領域の動向」 「周防九曜は、相変わらずのようです。あちらも、不干渉という点ではこちらと変わらないのではありませんか。むしろ、未来人の方が干渉してくる可能性は高いと思いますけど」 「戦争の発生自体は、彼女たちにとっても規定事項であると思われる。そうでなければ、そろそろ動きがないとおかしい」 経済産業省。 鶴屋大臣は、いろんな方面に電話をかけまくっていた。 「……戦争ともなれば鉄鋼の増産は不可欠だからねっ。……生産ライン増強の補助金? いやぁ、お国の財政が厳しくてねぇ。……あっ、そんなこと言っちゃっていいのかなぁ? あのことをバラしちゃうよっ。……うん、理解してくれて助かるにょろ。じゃあ」 電話を置き、次の話し相手の電話番号を確認する。 「ええっと、次は、○○商事だったかな?」 鶴屋大臣の脅迫電話は、その日一日中続いていたという。 首相官邸。 「ああもう! 今日もくだらない仕事ばっかりだったわね!」 「仕方ないだろ。一国の首相ともなれば避けられない仕事はいくらでもあるさ」 俺は、文句たれるハルヒをなだめる役目だ。この役目は昔から俺のもので、いまだに免れることができてなく、おそらく将来もずっと続くだろうと思われた。 なんたって、俺は、栄えあるSOS党党首殿の夫だからな。今さら免れることは不可能だろうし、その気もない。 「ねぇ、キョン」 ハルヒは俺の背中に手を回して抱きついてきた。 「なんだ?」 「あたし、そろそろ子供ほしい」 「いきなり何言い出すんだ、おまえは」 「いや?」 ハルヒの表情は真剣そのものだった。 「あのなぁ、ハル……」 俺が言いかけた瞬間に、背後から声が降ってきた。 「涼宮内閣腐敗の現場、そんなところだね」 振り向くと、そこには佐々木がいた。 「腐敗といってもこの程度でね。申し訳ない。でも、部屋に入ってくるときはノックぐらいはしてくれよ」 「したよ。ただし、お二人とも自分たちの世界に没頭するあまり、ノックの音を認識することを脳が拒否していたようだけどね」 俺たちは二人して顔を赤くするしかなかった。 「何の用だ?」 「酷い言い方だね。僕は、ここ一週間ほとんど寝ないで、この『戦時財政計画』をまとめていたというのに。ねぎらいの言葉ぐらいほしいところだ」 佐々木は、右手に握っていた分厚い書類を、近くのテーブルの上に無造作に置いた。 「すまん。それはご苦労だったな」 「ありがとう。君にそう言ってもらえると、僕の苦労も報われるというものだ」 何を大げさなと思っていると、背後に寒気を感じて振り向いた。 ハルヒが、剣呑な視線で佐々木をにらんでいる。 「涼宮さん。そんな目でにらまないでよ。別にあなたの夫をとろうなんて思っちゃいないわ。私だって、その辺はわきまえているつもり。キョンは誰にだって優しい人、涼宮さんだって分かってるでしょ?」 「分かってるわよ!」 ハルヒは不機嫌な顔のままだ。 「涼宮さん。お互い、この内閣が続く間だけでも仲良くやりましょう」 ハルヒはしぶしぶ頷いた。 「なあ、佐々木」 「なんだい?」 「この内閣が終わったら、おまえたちはまた野党に戻るのか?」 「当然だよ。キョンだって分かってるはずだ。涼宮さんには、常に張り合える敵役が必要なんだ。今は外敵がいるからいいけど、それがなくなったら、張り合いがなくなる。ならば、その役目は僕が果たそう」 「でも……」 「僕自身も、そういう役回りを結構楽しんでるのでね。おかげで、涼宮さんと出会えてからの人生はとても充実している。では、馬に蹴られないうちに退散するとしよう」 佐々木は去りかけて、再びこちらを向いた。 「キョン。君が愛妻家なのは結構なことだが、自重してくれたまえよ。この未曾有の国難の時期に、首相閣下が産休では、国民に示しがつかない」 俺たちが何かをいう暇すら与えず、佐々木は足早に去っていった。 終わり
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1875.html
涼宮ハルヒの不覚 分割版 涼宮ハルヒの不覚1 涼宮ハルヒの不覚2 涼宮ハルヒの不覚3 涼宮ハルヒの不覚4 涼宮ハルヒの不覚5 涼宮ハルヒの不覚6
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/840.html
その日のハルヒは、どこかおかしい素振りを見せていた。 そう言うと誤解を与えそうだから、ひとつだけフォローを入れておこう。いつものハル ヒは傍若無人で1人勝手に突っ走り、厄介事をSOS団に持ち込んでオレを含める団員全 員が苦労する──そういうことを、オレは普通だと思っている。この認識に異論があるヤ ツは前に出ろ。オレの代わりにハルヒの面倒を見る役割を与えてやる。 それはともかくとして。 その日のハルヒは……世間一般の女子高生らしい素振りを見せていた。 例えば、休み時間にクラスの女子たちと普通に話をしていたり、あるいはまじめに授業 を受けていたり、さらには放課後にこんなことを言ってきた。 「ねぇ、キョン。今日の放課後、時間空いてる?」 事もあろうに、あの涼宮ハルヒがオレに都合を聞いてきたのだ。 おいおい、なんだよそれは? まさに青天の霹靂ってやつじゃないか。おまえにそんな 態度を取られると、オレはどうすればいいか分からんぞ。 「ねぇ、どうなのよ?」 「あ、ああ、そうだな……それは部活が終わった後ってことか?」 「あ、そっか。うーん……そうね、大切な活動を中止するわけにもいかないか。終わって からにしましょ。忘れたら罰金よ!」 おいおい、オレはただ「いつの放課後だ」と聞いただけなのに、いつの間におまえに付 き合って時間を潰すことになっちまってるんだ? けどまぁ、そういうのがハルヒらしいってことだろう。そんな長時間でなけりゃ付き合 ってやっても罰は当たらないさ。 それにしても……あのハルヒがしっかりアポイントを取ってまで、いったい何を企んで いるのかね。オレは何かやらかしたかな? 思いつくことは何もないが……いやいや、も しかすると相談事とか? それこそありえないだろ。 それなら……と、あれやこれを考えつつ古泉とゲームに興じていると、長門がパタリと 本を閉じた。運命の時間になってしまった、というわけだ。 「それじゃキョン、下駄箱で待ってなさい」 団長さま直々のお達しにより、オレは下駄箱で待つこととなった。古泉に「おや、デー トですか?」などと聞かれたが、軽やかにスルーしておいたのは言うまでもない。 しばらく下駄箱前でボーッとしていると、ハルヒがやってきた。 ここで「待った~♪」などと言ってくれば「おまえは誰だ?」と言い放てるのだが、そ んなこともなく、代わりに口を開いて出てきた言葉は「ぼさっとしてないで、さっさと行 きましょ」とのこと。やはりコイツはオレの知っているハルヒで間違いない。 「んで? オレの貴重な青春時代の1ページを割いてまで、いったい何の用だ?」 北高名物のハイキングコースを並んで歩きながら、オレの方から話を振ってみた。 「……あんたさ、中1の夏、何してたか覚えてる?」 ややためらいがちに、ハルヒが口を開いた。 「なんの話だ?」 「いいから! 覚えてるのかって聞いてるの」 わざわざオレを呼び出して、意味不明なことを聞いてくる。そんな昔の話なんぞ、覚え ているわけがない。 おれが正直にそういうと、ハルヒは眉根にしわを寄せた。 「そうじゃなくて……ああ、もう! 中1の七夕の日、あんた何やってたの?」 この瞬間湯沸かし器みたいにキレる性格はどうにかならんもんか? それはそうと、中1の七夕だって? 我が家では七夕に笹を出して織姫と彦星の再開を 祝う習慣はないから、いつもと変わらない一日だった……というか、待て待て。なんでそ んな話題を振ってくるんだ? オレはともかく、ハルヒにとっての中1の七夕と言えば……校庭ラクガキ事件の日じゃ ないか。そのことは新聞にも取りざたされた話だから、知っているヤツは多い。けれど、 ハルヒ自身の口からそのことを言い出すのは皆無だ。 「中1の七夕なんて、いつもと変わらない1日に決まってるだろ。そういうおまえは、校 庭にはた迷惑なラクガキしてたんだっけ?」 その詳細を知ってはいるが言うわけにもいかない。誰でも知ってるような話で切り返し たが、ハルヒは不意に立ち止まり、じーっとオレの顔を睨んでいる。 「なんだよ?」 「あんたさ、好きな子とかいる?」 …………おまえは何を言ってるんだ? 「いいから、いるのかいないのかハッキリしなさいよ!」 なんでそんな怒り口調で問いつめられなければいけないんだよ? とも思ったが、ここ でこっちもテンションを上げるのは、ハルヒの術中にハマりそうでダメだ。オレが冷静に ならなきゃ、会話が成り立たなくなる。 「なんで中1の七夕の話から、そんな話になるんだ? そもそも、どうしてそんなことを おまえに言わなくちゃならないんだ」 「それは……」 なんなんだこれは? なんでそこで口ごもるんだ。タチの悪いイタズラかと思えるよう な展開じゃないか。今のハルヒは、そうだな……まるで告白前に戸惑う女の子みたいに見 える。いや、オレにそんな状況と遭遇した経験なんぞないが、ドラマでよくある展開だ。これ でハルヒがオレに告白でもしようものなら、明日には世界が滅亡するぜ。 「…………」 「…………」 ハルヒが黙り、オレも黙る。なんともいたたまれない沈黙に包まれて、かと言ってオレ から話しかける言葉も見つからずにいると。 「もういい」 ふいっと背を向けて、1人早足で坂道を降りていく。その背中には妙な殺気が籠もって いて、とても並んで歩く気にはなれず、ただ後ろ姿を見えなくなるまで見送った。 そんなことがあった前日、どうせ今日には元に戻ってるだろうと登校してみれば、ハル ヒは学校に現れなかった。 あいつが休むとは珍しい。これは別の王道パターン──ハルヒが海外に引っ越す──か と思ったが、朝のホームルームで担任の岡部からそういう話はなかった。むしろ、「涼宮 は休みか?」などと言っていたから、病欠ってわけでもないようだ。純然たるサボリって ことなんだが……そうだな、おかしな事態だ。 あいつは授業中こそつまらなさそうにしているが、無断でサボるようなヤツじゃない。 異常事態だってことさ。 1限目が終わり、オレはすぐに9組の古泉のところへ向かった。ハルヒの精神分析専門 家を自称するアイツなら、何かわかるかもしれん。 「え、登校していないのですか?」 と思ったが、古泉も寝耳に水の話らしい。 「昨日から様子がおかしくてな。それで今日は不登校だろ? 何かあったのかと思ったん だが……おまえの様子を見るに、閉鎖空間もできちゃいないようだな」 「そうですね。ここ最近、僕のアルバイトも別方向の役目が多くて……おっと、これはあ なたには関係ない話ですが。ともかく、今の涼宮さんは安定しているようです」 おまえのアルバイトでの役目なんぞどーでもいいが、その話でハルヒがストレス貯めて たり、妙なことを企んでる訳じゃないことは把握した。 しかし、まったく何もないわけじゃないだろう。 これまでの出来事を思い返し……あんな物憂げなハルヒを見たことは、2回ほどある。 七夕とバレンタイン。 あのときの様子とよく似ている。かといって、今はバレンタインって時期じゃない。も ちろん七夕って日でもないが……しかし、あいつの方から七夕の話題を出したってことは、 思い出さざるを得ないことがあった、ってことだろう。 ジョン・スミスの名前を。 時間的には昼休みか。そろそろ電話をしてもいい頃合いだろうと考え、ハルヒの携帯に 電話をかけてみた。 2~3回ほど留守電サービスに繋がったが、その後にようやく繋がった。携帯からじゃ なくて公衆電話からだからか、警戒したようだ。そりゃオレも見知らぬ番号や携帯からか かってきた電話には出ないがね。 『あんた誰?』 電話応対の定型文を使うようなヤツじゃないが、そういう態度はどうかと思うぞ。 「オレだ」 『あたしに「オレ」って名前の知り合いいないんだけど? つーか、さっきからしつこい し。その声、もしかしてキョン? だったらふざけた真似はやめなさいよ』 「いや……ジョン・スミスだ」 『…………え?』 この名前を口にするのも久しぶりだ。できることなら名乗りたくもなかったが、事情が 事情だしな、仕方がない。対するハルヒも、オレが何を言ってるのか理解できていないよ うだった。それも仕方がない。 「なんつーか……久しぶりだな」 我ながらマヌケな言葉とつくづく思う。毎日その顔を見ておいて「久しぶり」もなにも あったもんじゃない。 『あんた……ホントに、ジョン・スミス? じゃあ、やっぱりあの手紙もあんただったの?』 それがハルヒの物憂げな気分の正体か。 その手紙になんて書かれていたか聞き出すのは難しそうだが、わざわざ「ジョン・スミ ス」の名前を語っているということは、タチの悪いイタズラで済まされる話じゃない。 「その手紙になんて書いてあったかは知らないが、オレが出したものじゃないことは確か だな。今日、学校を休んでいるのもその手紙のせいか?」 『そうだけど……ちょっと待って。ジョン、なんであたしが学校休んでるの知ってるの?』 しまった、余計なことを口走っちまった……。 『あんた、今学校にいるのね? そうなんでしょ! 今から行くからそこにいなさいよ、 逃げたら死刑だからね!』 言うだけ言って切っちまいやがった。やれやれ、これもまた規定事項ってヤツか? だ としたら……そうだな、ここで頼るべきは長門か。はぁ……まいったね。 5限目の終了を告げる鐘の音とともに、教室のドアがぶっ壊れるほどの勢いで開かれた。 そこに、鬼のような形相でハルヒが立っている。 ハルヒは呆気に取られているクラスメイトと教師を一瞥し、ずかずかと教室の中に入り 込んできたかと思えば、オレのネクタイをひねり上げてきた。 「着いてきなさい」 声が低く落ち着いているだけに、逆に怖い。 ずるずる引きずられて教室から出て行くオレを、哀れな生け贄を見るような目で見つめ るクラスメイトの視線が痛かったのは言うまでもなく、教師すら見て見ぬふりをするとは どういう了見だ? 教育委員会に訴えてやろうか。 「協力しなさい」 屋上へ出る扉の前。常時施錠されていてほとんど誰も来ないこの場所で、既視感を覚え るような事を言われた。前と違うのは、今回はカツアゲどころか命を取られそうな殺気が 籠もっているというところだろうか。 「いきなり学校にやってきたと思えば、何に協力しろって?」 「校内に、あたしらより3~6歳年上の見慣れない男が一人、うろついてるはずよ。そい つを見つけて確保した上で、あたしの前に連行してきなさい」 なんつーことを言い出すんだ、おまえは? そもそも校内に見慣れない男がうろちょろ してたら、誰かがすでに気づいてるだろうが。 「あんた、校内にいる教師の顔、全員覚えてる? 一人くらい見慣れないヤツがいたって、 それらしい格好してれば紛れ込めるわ」 まぁ……言われて見ればそうかもしれないな。部室にあった、過去の卒業アルバムに載 っていた教員一覧は4ページに渡っていたわけだし。 「いい? 時間はないの。怪しいヤツを見かけたら、拉致って即座に連絡すること。次の 授業なんかほっときなさい。それと、このことはSOS団全員に通達することも忘れない ように! ところで……あんた、携帯忘れてないわよね?」 「それは持ってるが……」 「ちょっと貸しなさい」 言うが早いか、ハルヒはいきなりオレの上着の内ポケットに手を突っ込むと、携帯電話 を強奪しやがった。どうしてオレはキーロックをかかけてないんだ、と最初に思った時点 で何か間違ってる気がするのは、この際ほっとこう。 「……あんた、昼にあたしに電話した?」 我が物のようにオレの携帯をいじるハルヒは、どうやら着信履歴を真っ先にチェックし たらしい。こいつの旦那になるヤツはあれだ、履歴チェックは欠かさないようにすること を忠告しよう。 オレはどうだって? オレの場合、見られて困る相手に電話をしてるわけじゃないから、 別に気にしないさ。 「かけたよ。おまえが学校に来ないのが気になったんだ。通じなかったが」 「ふーん、そっか」 正直に話すと、それで興味を無くしたのかハルヒは携帯を投げ返し、そのまま猛烈な勢 いで階段を駆け下りて行った。オレはいつぞやのように一人、取り残されたってわけだ。 どうやらあの様子から察するに、あいつの頭の中では校内にジョン・スミスがいるっ てことになってるんだろう。 それはあながち間違いではないが……捜す対象がオレらより3~6歳ほど年上の男とな ると、まず見つかるわけがない。それは言うまでもなく、オレがジョン・スミスだからだ。 そりゃまぁ、あいつが中1の七夕のとき、オレは北高の制服を着ていたし、事実高1だ った。学年まで気づかなかったとして、制服を着ていることから3~6歳ほど年上と思う のも仕方がないことだろう。 しかしなぁ、かくいう張本人を目の前にして、そいつを捜せと言われても困るんだがな ぁ……。捜す振りをして、ひとまず残りのメンツに話だけを通しておけばいいだろう。 そんなことを考えていたら、突然オレの携帯が鳴り出した。 ディスプレイを見れば、 番号非通知。 嫌な予感がくっきり色濃く脳裏を過ぎった。どんな色かと問われれば、黒というか闇色 というか、そんな感じだ。 「……もしもし?」 『午後3時、旧館屋上に』 「は?」 通話できたのは、たった一言。無味乾燥な物言いは、どこかで聞いたことのある声だっ た。けれど、記憶にあるその声とは何かが違う。 どうやら、オレが思っている以上に厄介なことが起きてる。そんな予感を感じさせるに は十分な通話内容だ。 「なにがどうなってるのかサッパリだが……」 宇宙的、あるいは未来的、もしくは超能力的な厄介事に巻き込まれているのは間違いな い。これがせめて、異世界的な異変でないことだけを心から願いたいが……何であれ、そ れでもオレを巻き込むのは勘弁してもらいたいね。 困った事態というのは、ひとつ起こればドミノ倒しの要領で立て続けに起こるもんだ。 オレはそのことを、涼宮ハルヒという人間災害から骨の髄まで染み込むほどに学んだ。 それが今、まさに、この瞬間、立て続けに起こっているわけだ。 ひとまず古泉には事情を説明して『機関』の人員の手配を頼んでおいた。長門にも協力 要請を出しておいた。朝比奈さんは、申し訳ないが最初から巻き込んでいる。 SOS団的に言えば、盤石のフォーメーションで挑んでいると言っても過言ではない。 にもかかわらず、オレが危惧しているのは、オレ自身が上手く立ち回れるかどうかについてだ。 まいったね。「やるかやらないかより、出来るか出来ないかが問題だ」なんて格言があ るのかどうかは知らないが、ここで本音を語ろう。声を大にしてだ。 出来ません。無理です。勘弁してください。 「フォローはする」 心強いコメントだが、どこか投げやりなのは気のせいか? 「そもそも、本来の場所はここじゃなかったよな。公園だっけ?」 「些細なこと。重要なのは事実が現実になるかどうか。情報操作は得意」 そういうもんなのかね。やっちまった……と思って、けっこうへこんでるんだが……。 「それならそれで長門よ、前にも言ったが……もうちょっとマシな形にはできなかったの か? かなり抵抗があるんだが……」 オレは手の中に収まっている黒光りする鉄の塊を、腫れ物にでも触るような手つきで持 て余していた。 「その形状がもっとも効率的。あなたが無理ならわたしがする」 「……すまん、さすがにオレには無理だ」 「そう」 オレは手の中のもの──拳銃を長門に手渡した。自分がやるべきなのだろうが、いくら なんでもこんなものをハルヒに向けて、狙い通りに撃ち抜くなんて、そこまでオレは淡々 と物事を冷静に運ぶことはできない。 「そろそろ時間」 ふいっと視線をはずし、長門は目の前の扉に目を向ける。オレは時計を見る。朝比奈さ んを見習って、電波時計にしているから狂いはない。 時間は午後3時になる5分前。各教室では本日最後の授業が行われている真っ最中だ。 普通なら、歩き回っている生徒なんているはずもない時間だが……目の前の扉が、もの凄 い勢いで開いた。 「見つけたわ!」 ドカン! と音を立てて、旧館屋上の扉が開かれた。 そこに立っているのは、言うまでもなくハルヒ。その形相は、親の敵を見つけた仇敵と 相対する西部劇のガンマンみたいな顔つきだ。 「あなたがジョン・スミスね! ふざけた名前で捜すのに苦労したわ。よくもまぁ、あた しが中1のころから今の今まで、逃げおおせたものね!」 「落ち着けよ。積もる話もあるだろうが、そういう場合じゃないんだ」 「どんな場合だっていうのよ! あたしはずっとあんたを捜してたわ。そのために北高に も来たし、SOS団まで作ったのに……あんたはずっと雲隠れしてて! どれもこれも全 部あんたを捜すために、」 「おいおい、そうじゃないだろ」 ハルヒの言葉を遮って、オレは言うべきことを口にする。 SOS団、つまり『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』っ名称は、そりゃ 確かに七夕のときのオレの一声をもじって付けたものかもしれない。そこにどんな思いが 込められていたのかなんて、オレにはとっくに分かっている。 だが、それはあくまでも切っ掛けにすぎない。今ここにいるハルヒがやってることは、 何もジョン・スミスに会うためだけにやっていることではないはずだ。 「今、おまえはけっこう楽しんでるだろ? オレと会うことでほかのすべてを捨ててもい いとは思ってないはずだ。目的と手段が入れ替わってることに、そろそろ気づいてもいい んじゃないのか?」 「何よそれ!? あたしは……」 「言いたいことは分かってるさ。ああ、悪いな」 オレはちらりと時計を見る。そろそろ午後3時。時間だ。 「話は、ここまでだ」 オレの言葉に合わせるように、長門は迷いなく銃口をハルヒに向けて、その引き金を引 いた。 パシュン、と軽い音が響く。その音に胸騒ぎを覚えたオレは、階段を出来る限りの速さ で駆け上った。 そこで目にしたのは、倒れているハルヒと、スーツに身を包んだ一組の男女。その二人 が何者かと考えるよりも先に、オレはハルヒに駆け寄っていた。 正直、血の気が引いた。直後によく動けたものだと、あとになって自分自身に感心したほどだ。 「ハルヒ! おい、しっかりしろ!」 見た限り、ハルヒに外傷はない。ただ、いくら呼びかけても返事はなく、その姿はまる で眠っているように見えた。 「眠らせただけ。それより、動かないで」 まるでどこぞの社長秘書のような出で立ちで、ご丁寧に怪しさ倍増のサングラスまでか けたその女性が、膝を折ってオレを見る。……あれ、この顔はどこかで見たことが……と、 考えるよりも先に、それは起こった。 大袈裟な変化があったわけではない。ただ、オレが駆け込んできた屋上へ通じる出入り 口がなくなっている。場所こそ旧館の屋上ということに変わりはないが、目の前にはどこ にでもいそうな大学生、あるいは社会人的な年代の男女数名が現れていた。 いったい何時の間に、どこからやってきたのかさえオレにはわからない。というか、そ もそも今がどういう状況なのかもわからない。 「悪いが見ての通りだ。ここでドンパチやるのは構わないが……」 ダークスーツに、こちらもサングラスをかけている男が、目の前の相手を前に口を開き、 彼方の方向を指さした。 「鷹の目がここを狙っている」 その瞬間、男と数名の男女のグループの間の地面が、パキン、と爆ぜる。まさか……と は思うが、もしかして今、どこぞから狙撃でもされてるんじゃないだろうな? 仮にそう だとしても、ここから狙い撃てる場所なんて、裏山の傾斜くらいだ。1キロくらい離れて るんじゃないのか? 「さらにここには、なが……こいつもいる。ジョン・スミスの名前を使ってハルヒを引っ 張り出すのは悪い考えじゃないが、できれば二度と使わないでもらいたいね」 男とその敵対グループらしい連中とのにらみ合いがしばし続き──誰と言うわけでもな く舌打ちを漏らすと、連中は次々に屋上の柵を乗り越えて飛び降りていった。 「時空間転移を確認。この時空間からの消失を確認した」 「はぁ……やれやれ。もう二度とこんなことをさせないでくれよ……」 深いため息をついて、男は腰が抜けたようにしゃがみ込む。この二人は……まさかとは 思うが……けれど、そんなバカな話があってたまるか。 「みなさん、大丈夫ですかぁ~?」 がちゃりと音を立てて、いつの間にか下に戻っていた屋上のドアが開かれる。そこに現 れた人影を見て、オレの疑念は確信に変わった。 現れたその人は、オレが何度も会ってる朝比奈さん(大)だった。ここでこんな登場を するということは、規定事項ってことなんだ。それはつまり、目の前の2人はオレが思っ ている通りでいいってことですね? 「ああ……いや、深くは聞かないでくれ。オレのこともだいたい分かってると思うが…… そうだな、古泉が所属する『機関』の上の人間と思ってくれ」 「ちょっ、ちょっと待ってくれ。なんだって!?」 「時間を自由に行き来できるなら、未来が過去において自由に動けるその時間帯での組織 を作っていてもおかしくないだろ。そうでもしなきゃ、ハルヒは守れないんだ」 「ハルヒを……守る?」 「ちょっとキョンくん、喋りす……あ」 朝比奈さん(大)は黒スーツの男に向かってそう言った。「あ」って、迂闊すぎます… …が、今は有り難いね。それで確信が持てた。 やっぱり、この二人は……未来のオレと長門なのか!? 「そいつは禁則事項ってヤツだ。ただ、今回のことでわかったと思うが……まだまだハル ヒ絡みの厄介事は続くってわけさ。同情するぜ」 いやもう、頭が混乱してきたぞ。何がどうなってるのかしっかり説明してくれ。 「それは追々分かるだろ。ハルヒはもうちょっと寝てるだろうから、しっかり介抱してく れ。目が覚めたら今回の出来事は忘れてるはず……だよな?」 未来のオレが隣の……たぶん、未来の長門に確認を取ると、微かに頷いた。 「ああ、あと古泉経由で新川さんにも礼を言っといてくれ。さっきの狙撃はなかなかのも んだったしな。んじゃま、10年後に会おう」 その後のことを少しだけ語ろう。 屋上からの出入り口から出て行った3人の後を追うように、すぐに後を追ったが姿はなく ……長門(大)に眠らされていたハルヒを保健室に運んだオレは、未来からやってきて いたオレたちについて憶測を巡らせた。 今回の出来事は、直接的には今のオレやハルヒに関係のない事件かもしれない。むしろ 未来のオレらに関わる事件が、たまたまこの時間軸に関わりがあったにすぎず、その騒動 に巻き込まれただけのような気もする。 この時間軸で事の詳細を正確に理解しているのは長門だけだろうが、親切に話してくれ なさそうだ。何しろ、オレの未来に直接的に関わってくる話だしな。 未来のオレは「古泉が所属する『機関』の上の人間」だと言った。つまり、オレは将来 的には古泉と同じ『機関』の、それもトップクラスの立場になるかもしれない。下手をす ると、『機関』の現時点でのトップは未来のオレ……なんてことも、あの口ぶりでは十分 にあり得そうだ。もしそうだとしたら、悪いが全力でそんな未来を変えようと足掻くだろう。 しかし未来のオレは、その現実を受け入れていた。そう決断しなければならない出来事 が、今後起こり得るかもしれないが……そんなことは考えたくもない。 「……うん」 「よう、お目覚めか」 「あれ……キョン? あれ……あっ!」 寝起きとは思えない勢いでハルヒは保健室のベッドから飛び起きた。こいつは低血圧と は無縁なんだろうな。 「ちょっとキョン、あの男はどこ行ったのよ!」 オレの首を締め上げて、もの凄い勢いでまくし立てている。おいおい長門(大)よ、今 回の騒動のことをハルヒは忘れてるんじゃないのか? どう見てもしっかりばっちり完 璧に覚えているじゃないか。 「あ、あの男って誰のことだ!?」 「誰って、そりゃ……あれ? えーっと……」 続く言葉が出てこないのか、ハルヒは肝心なところは覚えていないらしい……というか、 ジョン・スミスについて何も覚えてないんじゃないのか? 「なぁ、ハルヒ。真面目に聞くから正直に答えて欲しいんだが」 いまだにオレの首を握りしめている──といっても力はまったく込められていなかった が──ハルヒの手を取り、オレは肝心なことを尋ねようと思った。 それがたとえ、オレの思ってる通りでも違ったとしても、オレとハルヒの今の関係が崩 れる類のものではない。ただ、オレの決心が鈍るかもしれない質問だ。 「おまえ、SOS団を何のために作った?」 「はぁ? あんた何言ってるの。最初に言ったでしょ。もう一回聞きたいの?」 「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶことか? 本当にそれだけか?」 当初ならそのセリフで納得も……できやしないが、まぁ、ハルヒならありえそうだなと 思って追求しなかったさ。 しかし、今日この日に至るまで経験したさまざまなことを鑑みて、ハルヒがただその理 由のためだけにSOS団なんて作り出したとは、オレには到底思えない。SOS団の名称に したってそうさ。 ハルヒはただ、ジョン・スミスとの再会を願ってこの名前を付けたんじゃないのか? だからもし、ハルヒがジョン・スミスがオレと知ってしまえば……SOS団はその役目 を終える。それが怖かった。もしそうなら、オレはこいつに「自分がジョン・スミスだ」 などとはとても言えやしない。 「……あんたが何を考えてるか、だいたい分かってるわ」 キュッとオレの手を握り替えし、ハルヒがオレの予想とは違うことを言った。 「最近、みんなと一緒に遊ぶことが楽しくて、本来の結成目的がおざなりになって不安に なってるんでしょ? でも安心しなさい。あたしはまだ、当初の目的を忘れていなんかい ないわ! いつか、必ず、絶対に宇宙人や未来人や超能力者を見つけてやるんだから!」 「本当に……そうなのか?」 「はぁ? 当たり前でしょ!」 語気を強めるハルヒだが、オレはまだ納得できない。 「しかしだな、SOS団の名称が……なんつーか……センスないなと思って」 「うっさいわね! 昔、変なヤツが言った言葉を借りて命名したのよ。あたしのセンスじ ゃないわ」 「そいつを捜すために、名前を借りたのか? つまり、SOS団ってのは……」 「うーん、そりゃ捜したい気持ちはあるし、ちょっとは気になってるけど……ほら、昨日 あんたに中1の七夕のときのこと聞いたでしょ? そのときに会ったヤツが言ってたセリ フでさ。そいつ、なんかあんたに……そうね、ちょっと似てたかも。だからもしかして、 あんたじゃないかって考えたこともあったわ。なんでそんなこと考えたのかしらね? あ り得ないのに」 あり得ないと思ってくれるのは有り難いが、事実その通りで、こいつの勘の鋭さにはと にかく呆れるね。 「でも、それはあくまでも切っ掛け! そもそも、その男は自分は自分で楽しいことして るに決まってるわ。あたしも負けてられないから、名前を借りたのよ! いつかあたしの 前にふらっと現れたときに言『あんたより、あたしのほうが楽しいことしてる』って言っ てやるためにね!」 ああ……どうやらオレは、未来の自分と会って少し混乱していたらしい。よく考えれば、 疑う余地なんでまるでないじゃないか。 ハルヒはSOS団結成の理由を「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶこ と」としているが、実際はそうじゃない。 かといって、オレが邪推したように、ジョン・スミスを捜し出すためでもない。 そりゃ、その両方もまったくのウソというわけではなく、心の片隅にちょっとはあった のだろう。だが、ハルヒの心を占めているのは、普通の高校生らしい、ただ純粋に「今の この瞬間を思いっきり楽しみたい」って気持ちだけなんだ。 ハルヒにちょっと桁外れのトンデモパワーがあって周りは騒いでいるが、本人は青春を 謳歌したいだけなんだ。それならオレは、ハルヒ的青春の謳歌に付き合ってやるさ。今ま で散々、周囲に迷惑をかけて面倒を巻き起こしてきた過去に比べれば、どれほどまともで 健全なことか。 それを未来的な策謀や、宇宙人的な思惑や、秘密結社らしい陰謀で潰すのはあまりにも 身勝手な話だ。だからオレは……そうか、だからなのか。未来のオレは、10年経ったそ のときでも、SOS団のメンバーと一緒にハルヒを守ってるわけか。そのために、面倒な ことに進んで首を突っ込んでいるのか。それこそ、願ったり叶ったりだ。 もしかすると、今回の事件はオレにそう思わせるために必要な出来事だったのかもな。 「何よあんた、ニヤニヤと締まらない顔しちゃって」 予想以上の結論に至って満足していたのか、その喜びが顔に出ていたらしい。ニヤニヤ とは、そこまでイヤらしい感じじゃないだろ。 「なぁ、ハルヒ」 「な、なによ」 「これからも、一緒にいてやるぞ」 「ふぇ?」 ……なんでそこで赤くなるんだ? どうして急に力を込めて手を握りしめてくるんだ? 「キョン……それってつまり……ええっと、世間一般で言う告白……のつもり?」 「は?」 待て待て。なんでそういう……そういうことになるのか? もしかしてオレ、素で勘違 いされるようなこと言ってたか? ここは一応、フォローしておくべきか……? 「……つまり、SOS団の一員として、なんだが……いだだだっ!」 物の試しで言ってみたが、瞬く間にハルヒの顔が別の意味で赤くなった。つまり、照れ 方向から怒り方向にシフトして顔が赤くなった……ようにオレには見える。 「……いっぺん真面目に死刑にしてあげようかしらね?」 ハルヒさん、リンゴを握りつぶすような握力で手を握らないでください。その鉄球みた いな頭突きを繰り返さないでください。いや、マジで痛いって! 「あんたには言葉の重みってのを教えてあげる必要がありそうねぇ……覚悟しときなさ いよ!」 妙なスイッチが入ったハルヒを、オレが止めることなんて出来るわけがない。そもそも こいつを守る必要が本当にあるのかどうかも悩むところだ。 これから少なくとも10年は、こんなことが続くのか……やれやれ、まいったね。 だがそれでも、オレはもう二度と冒頭に思ったセリフは口にしないつもりだ。 そりゃそうさ。こんなハルヒの面倒を、今後10年は見守っていられるるヤツなんて、 オレ以外の適任者がいるとは思えない。 なぁ、そうだろ? 〆
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3118.html
5日間熱心に勉学に励んだ後に訪れる束の間の休息。そんな貴重な休日に我々SOS団がどこにいるのかというと── ハルヒが福引で一発で引き当てた温泉旅館に来ている。 開催初日に引き当ててしまったことにより、客引き要素が70%減となってしまったその抽選会はもう悲惨だとしか言いようがなかったが。古泉に言わせれば 「涼宮さんがそう願ったんでしょうね」 とのことで、まぁそれについては初っ端から特賞を引き当てる確率と、 また都合よく5名様のご招待と書かれているその券を見て考えるとと妥当な推測ではある。 普通ならこんなものは家族で行くものだろうと思うのだが、ハルヒは家族に対しては長門が当てたもの (長門が一人暮らしとの説明も踏まえた上で)と言って誤魔化したらしい。 全く、そんな人生に1度、当たるかどうかも分からないような宝くじに匹敵する旅行券を、わざわざ団員で使おうとは。なんて独り言を漏らしたら、 「・・・・・・鈍感」 と後ろから雪融け水のように冷たな長門の声が耳に入った。 さて、旅館やホテルに着くと予想外に子供心というか、とにかく何かが湧き上がってきてウキウキしてくるのは何故だろう。 「探検しに行こう」と言ったのがハルヒではなく俺の口から発せられたものだから他3名は冷蔵庫にあったプリンが食べてみると実は卵豆腐だった、 なんてような顔になっている。まぁ、確かに俺も言い終わった後で多少しまった!とは思ったが。 「あたしが言う台詞でしょうが!キョンはヒラなんだから──」とそれはもう予想していたハルヒの言葉を軽くいなしながら他3名の意見を聞いた。 朝比奈さんはハルヒの機嫌を損ねないような言葉を選ぼうとしどろもどろで、長門はいつもの通り分厚い本を開いて物語の世界へ。 「僕達は・・・遠慮しておきます、2人で行った方が大勢で行くよりも隅々まで探検できるかと」 棄権なんてこのハルヒが認めるはずが無いだろうと思った瞬間 「じゃあいいわ、キョンと2人で行ってくるから、みんなは体を休めてなさい」・・・なんですと? ハルヒ、お前新幹線の中でなにか変なもの食べたんじゃないか、というかお前が一番疲れてるんじゃないかと聞こうとしたがもうすでに握られた手は そのへんの運動部よりも凄い力で引っ張られていき、こうして旅館探索が始まったのだった。 探索、とは言うものの。商店街が用意したような旅館、流石にそれほど広くもなく。地下の遊戯施設に立ち入っては「温泉浸かったら後でみんなで遊びに来ましょう」だとか、 開いてないレストランの前まで来ては「ここ、朝はバイキング形式で食べられるレストランなんだって」とか、つまり極一般的な会話に終わる探検だったわけで。 下見、という言葉の方がしっくりくるなと思うと同時に我が口から「探検しよう」なんて子供のような言葉が出てしまったことを再度後悔していた。 ふと握られたままだった手を見ながら、こんな風にハルヒと2人一緒だったあの日を思い出す。 当時こそ俺はその出来事を考えるたびに、手の届く範囲に拳銃がありさえすれば!なんて思っていたが。 今ではそんなことを考えていた頭の中の自分に鉛玉を撃ち込んでやりたいね。 俺は意外にもハルヒと共にいる時間を楽しいと思えるような性格を手に入れたらしい。と言えば遠まわしだろうか? 流石に俺でも自分の事を一端の健全な男子高校生だと思っているし、女子に全く興味が無いなんて今時の僧侶でも言わない事を、俺が言うわけが無い。 それがこの手を取っているハルヒなのかはまた別として。・・・だがまぁ、一緒にいて楽しい以上俺はハルヒを嫌いではないと自覚している。 「そういえばハルヒ・・・お前1年前と大分変わったよな」・・・1年前は毎日「退屈」、「暇」の言葉を製造し続ける特注機械だったのにな。 「なんか馬鹿にしてる?」っと、心を読まれかねないから少し控えておかないとな。 とはいえ、今でも毎週1回は「退屈」もしくは「暇」と呟きはするのだが。しかし古泉は「今年は例年に比べて本当に閉鎖空間が発生しなくて済んでますよ」と言っていた。 確か最後に発生したのはこの間のゴキブリ騒動の時だったとも言っていたな・・・ このゴキブリ騒動については家庭科の担任教師が入院の為2週間ほど学校を休んでいて・・・ で、それに伴って調理実習室の部屋が2週間閉鎖され、その後「調理実習室から異臭がする」との噂が囁かれはじめてから どういうわけか「調理実習室を調べて対処して欲しい」という話が悩み相談窓口から入ってきたんだよな。それも生徒会から。 生徒会長曰く、「こんな訳の分からない部を黙認させているのだから、たまにはそれに応じた働きも見せてみろ」だとさ。 便利屋じゃあるまいし。とは言うものの「対処してくれればSOS団の正式な承認を前向きに検討する」とのことなので 俺なりにハルヒを説得してさっさとこんな厄介事を片付けようと息巻いていたのだが。 調理実習室前に着くや、漏れ出てくる異臭。マスクを用意していて正解だったと他団員を見回し・・・ 涙を薄っすら浮かべている朝比奈さんに渡し、流石のパーフェクト宇宙人も若干眉を顰めているが・・・長門にも渡し 「ちょっと用事が・・・という訳にはいかないんでしょうね」当たり前だ、古泉。こいつにも渡し 口数が一瞬で0になって少々顔を引きつらせている我らが団長様にもマスクを渡し。 士気が下がりきってしまう前にさっさと開錠してドアを開け──そこから人間の女子2名の記憶は無いようだ。 惨状と言うべきか。2人が床に衝突するのを避ける為に両手が塞がった俺の目の前に表れた光景。 コンセントが外れ、ドアは半開きの冷蔵庫から飛び回る蝿。外からの空気が入ったことによって蜘蛛の子を散らしたように逃げていったがそれでも十数匹は目視できるゴキブリの集団。 長門がいなければこの惨状はあと数週間は惨状のままだったかもしれない。 高速言語を放つと同時にこの閉鎖(されていた)空間にいたゴキブリ、蝿、異臭、異臭元と思われる腐った食材etc・・・は亜空の彼方に消えていったらしい。 「・・・・・・任務遂行完了」マスク姿の長門がそういい終わると同時に鳴り響く古泉の携帯。 「申し訳ございません。・・・久々のバイトのようです・・・」 さて話を戻そう。 確かに四六時中一緒にいて、こいつの機嫌が手に取るように分かるようになった多大な能力を得てしまった俺が見ても、ハルヒは性格が丸くなったと言える。 が、しかしSOS団の活動意義が発足当時から不変であることも分かっているし、それならば何故ハルヒは閉鎖空間を発生させないような性格を得たのか不思議でならない。 「なぁ、毎日楽しいか?」ふと、答えを聞けば全ての疑問が解決される質問をハルヒに聞いてみた。 「あんたはどうなの?キョン」と返されたのは想定外だった。俺か?俺が毎日楽しいかどうかだって? 「・・・まぁ、楽しいと言えば楽しい、かな?」 「じゃあ、そんなもんなんじゃない?」うーむ。ハルヒらしからぬ答えだ。てっきりここで“退屈で暇でどうしようもないことくらいわかるでしょー! そんな質問をする前にあんたが楽しみを提供するよう頑張るのが有意義よー!”なんて罵倒されて、それに対して俺はそれでこそハルヒだと一人感慨にふける展開を考えていたのに。 そんな話を入浴中に古泉に話してみた。こいつならば涼宮の言わんとしていることを俺に分かりやすく教えてくれることだろう。 「それは・・・その通りの意味ですよ」・・・前言撤回。こいつに話したところで俺の脳は疑問を解決することはできなかった。 「フフ、失礼。しかし今まで常に自分の意見を押し通してきた彼女が、あなたに答えを任せた。それがヒントですかね・・・?」 ヒントなんざ言うくらいならとっとと正解を教えろってもんだ。俺はクイズバラエティーで分かりそうも無い難題を吹っかけられて反応を笑われる芸人じゃあない。 なんて言おうとしたがそれはハルヒによって阻まれた。 「お前!ハルヒ!なんで男湯覗いてんだ!」 「おや、体を洗った後で良かったですね、僕達」そういう問題じゃないだろ。 「ふふん、あんたがこっちを覗かないように監視してるのよっ!」俺は紳士だ、見るわけ無いだろうが。 どーだか、とからかうハルヒを俺もついからかいたくなって自分の胸を指差し 「見えてるぞ。」うそっ、という声と同時に崩れる椅子の音。 「あぁ、嘘だ。」 数秒してから返ってくるハルヒの怒声。久々にハルヒの口から「バカキョン」の言葉を聞いた気がするな。 部屋に着くなり用意されていた豪勢な夕食。ガイドブックや旅番組で見るようなまさにそれと全く同じ光景が目の前に広がっていた。 一番乗りで座布団に座ったのは意外にも長門。おそらく初めて見るんだろうな。生まれてまだ・・・4年しか経ってないんだから当然か。 急かすように他メンバーをじっ、と見つめ、全員が座るまでに要した時間は数秒。 ちなみに、長机を2人と3人で挟むように座布団が敷かれ、3人の方に長門、古泉、朝比奈さんの順で座ってしまったので必然的にもう片方には俺とハルヒが並んで座ることに。 長門は火をつけられた小鍋をまじまじと見続けている。分かるぞ、小学生のときの修学旅行で同じ気持ちを味わったもんだ。 ハルヒのいただきますの号令で料理を堪能・・・相変わらず長門の箸は速いな・・・なんて上の空になっていたら。 「ほら、ご飯粒ついてる」・・・まるで長門以外の時間が停止したようだった・・・漫画さながら、俺の頬に付いていたご飯を手に取り食べてしまったのだから。 「フフ。まるで夫婦のようですね」との古泉の声にハッと向こうに顔をやるハルヒ、耳が真っ赤だ。俺も顔が熱い・・・ さっさと食べて遊戯室行くわよ、と話をそらし、急いで飯をかっ込むハルヒ。・・・と俺。結局料理の味を楽しめなかった・・・ 温泉に浸かって腹ごしらえもして。もう快適な睡眠の安全装置は解除されいつでも引き金を引ける状態である。 適度な運動なんてしたらもう完璧に睡魔と書かれた銃弾は俺の頭を貫くね。 「馬鹿なことを言ってないで、次あんたの番よ!」と言うことで、古泉からラケットを受け取り俺なりに奮闘してみたのだが。 こいつはスポーツの神様が背後霊じゃないのかと思える試合だったな。なんで去年の孤島のときよりさらに強いんだよ・・・ ともあれ、何周かすると流石に全員に睡魔と書かれた銃弾は行き渡ったようで、最下位だった俺の奢りのコーヒー牛乳を振舞いつつ、部屋に戻ることとなった。 さて、人間という生き物は不思議なものであり、眠るという目的が別の事象によってなしくずしになる、なんてことはごくありふれた光景である。 この場合の事象とはトランプのことであり、いくつものメチャクチャなローカルルールが絡み合ってしまったそれはもはや大富豪と言えないゲームだったが。 罰ゲームに酒がハルヒの口から提案されたが、流石に高校生だけで来てるのに酒を飲んだ後の領収書を見られたら学校に通報されるかもしれない、 という説得の末これまたお決まりの奢りジュース。もちろんお決まりで俺の奢り・・・ どういう経緯で全員が睡眠という2文字に負けたのかは定かではない。遊びながらそのまま寝られるように放射状に布団を敷きなおしていたから、最後に電気を消した人間でないと知りようがない。 と、考えているのはつまり自分が起きているからである。変なジュースを罰ゲームで飲まされたからだな・・・キュウリ味のサイダーだっけな、うっ、思い出しただけで吐きそうだ。 暗闇にだんだん目が慣れてくると隣の布団が空になっていたのに気づいた。ハルヒだ。 トイレに行ってるのだろうか?という考えはそのまま5分過ぎたところで否定された。外に出て涼んでいるのかもしれない、が、ひょっとしたら。そう考えると既に俺は部屋を出ていた。 何故ハルヒがいないとこうも落ち着かないのだろうか。・・・そういえば世界が改変されていた時も。 まだ20年すら生きていない俺がこんなに1人の女子で心が不安になるのか?生意気すぎるにも程がないか。いや──俺は俺を誤魔化している・・・のか。 ぴたりと足が止まった。 「俺は、ハルヒのことが──好きなのかな」 がたたんとなにかに躓く音。振り返るとハルヒがソファーに尻餅を付いていて、弱々しい非常灯に照らされたその顔はかすかに赤くなっていた。・・・まさか。 「い、今の聞いてたり・・・?」 無言で頷くハルヒ。 「聞かなかったことにしてくれたりは・・・?」 無言で首を振るハルヒ。 ああ、俺の人生はここで終わったな。明日になれば団員全員に、月曜日になれば学校の笑い話のレパートリーに1話追加されるわけだ。 「あ、あたしも・・・同じ」 やれやれ。こういう話で笑われるのは男だけと相場が決まっているな。古泉あたりの端正な顔立ちの奴なら逆に七不思議に追加されそうだがな。 こんな普通さしか取り得の無い男子学生なら普通という項目が異常という項目に書き換えられて別のファイルに入れられるだけだ。 「あたしも・・・好き」 ・・・え?何?今幻聴が聞こえたような・・・ 「あんたのことが大好きって言ってんで・・・モガモガ」 幻聴じゃなかった・・・いや、危なかった。こんな大声を他の宿泊客に聞かれたら即追い出される。・・・しかし。 「これ夢か?」 スッ、と手が伸びて頬を抓る。古典的だが、確かに現実のようである。 「夢じゃない?」 コクコクと頷くハルヒ。ここでいまだに口を塞いだままであったことに気づく。 「おわっ、す、すまん・・・」 「まったく、部下が団長の口を塞ぐなんて、団員にあるまじき行為よ!」・・・まことに仰るとおりでございます。 「塞ぐならこっちでしょうが!」 ・・・俺の唇は、ハルヒの唇で塞がれた。 次に意識を取り戻したのは布団の中だった。あれは夢だったのだろうか。 時計に目をやるとまだ6時半で、みんな熟睡しているようだ。もちろんハルヒも。 ・・・閉鎖空間?いや、あの時俺の隣(ハルヒと逆)には古泉がいたのは確か・・・って、古泉はそれの専門家だからこれじゃ決め手にならん。 しかしその疑問はすぐに解決された。なぜなら、ハルヒの手と俺の手が握られていたことに気づいたからだ。 ・・・その手を離そうとしたがやめておいた。 ハルヒに夢で終わらせたく無かったから。 なぁ、あの時お前はいつから起きていたんだ? 「フフ。やはり気づいていましたか。」 古泉によると今回の件も特殊だというらしい。 神人が存在しない閉鎖空間だったとか、極めて感知するのが難しい空間だったとか、初めから近くにいたことで偶然入り込むことが出来たようだとか 言っていたが、閉鎖空間内での光景がフラッシュバックして大半は頭に入っていなかった。 「あの閉鎖空間の発生で何か世界に困ったことは?」 「起きていないですね。あ、困ったことではないのですがただ一つだけ変化が。」・・・何だ? 「あなたと涼宮さんの絆がより深いものへと変化したようです。」 そのまた次の週。不思議探索の日にまたも俺とハルヒ以外欠席となった。古泉の根回しだろうか。 ハルヒは特に非難することもなく、俺の奢りの缶コーヒーを飲みながら歩いている。 「あ、そうそう。商店街の福引券がまた1回分集まったのよね」と、いつのまにか丁度福引所の前に着いていた。 開幕と同時に特賞を失った福引と言うものはまるで全く弾まないバスケットボールのようである。 弾まないバスケットボールで観客を沸かす試合が出来ないことは商店街の方が一番よく分かっている。 そう、つまり特例として特賞をもう1本入れて客引きを図っていたのである。・・・が、ハルヒが来てしまったものだから大変。 流石に彼らの頭にも一般的な確率論が入っているはずだろうからそんな事態が起きることはまず予想しないであろう。 しかしそれでも“もしかしたら”が同じ比率で彼らの頭を蝕んでいるようであり、またそれが顔色を悪くさせる要因のであることが俺にも分かってしまった。 ここは俺が助けの手を差し伸べてやらなければなるまい。とまたも自分を誤魔化しつつハルヒに耳打ちする。 「3等の映画鑑賞券が当たったら丁度2人で行けるな」
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1618.html
影時間。 いつからそれが訪れるようになったのか――っていうか、ついこの間からなんだがな。 まったく訳の分からんことには慣れきったと思っていたが、まさかこんなアホな事態になるとはな。 いま俺はハルヒ以外のSOS団メンバーと共に、シャドウ退治ってのをやってるところだ。 シャドウってのは影時間にだけ現れるキモイ化け物のことで――って、影時間が何なのかの説明もまだか。 仕方ない、俺がこの事件に巻き込まれたところから話すとしよう。 あれは1週間くらい前のことだったかな、俺は夜中にのどが渇いて、しかし冷蔵庫には何もなく、 水で我慢するのも癪だったので、缶ジュースを買いに外に出かけたんだ。 そうしたら―― 「……?」 家を出て、近くの自販機に向かおうとあくびをしながら一歩踏み出したところで、 俺は自分の目を疑ったね。 なにしろ自販機の隣に棺桶が立ってたんだから。 なんだこりゃ。新手のヤンキーのいたずらか? 少しビビリつつも、俺はその棺桶に近づいていった。 でかい。あたりまえか、人を入れるためのもんだもんな。俺より頭ふたつぶんくらいはでかいね。 中に誰か入ってるんだろうか。 吸血鬼……なんてのは、いくらなんでも時代錯誤だろう。 しかしもしこれがハルヒがらみだったら、あながち無いともいいきれないのが怖いところだ。 さすがに中身を覗いてみようって気にはならんが。 夜の街にぽつんと立っている棺桶か。不気味なことこのうえないな。 とにかくジュースを買おう。そして何も見なかったふりをして、家に戻ればいい。 明日長門あたりに聞けば、万事解決するだろうさ。 我ながら達観してるな。それもこれも、涼宮ハルヒなんてアホにつきあってるからなんだろうが。 俺は百円を自販機に入れて――うんともすんともいわねぇ。 なんだ。飲まれたのか? つり銭レバーをまわしても戻ってきやしねぇ。ウソだろ、俺の百円。 自販機を蹴り飛ばそうかどうか一瞬迷い、結局蹴り飛ばしてしまったところで、 「きゃあ!」 悲鳴が聞こえた。女の子のだ。まさか俺が自販機を蹴ったから、なわけはないだろうが、 しかしこの声には聞き覚えがある。そう、いつも部室で耳にしている可憐な悲鳴、これは、 「朝比奈さん!」 俺は悲鳴のほうに走ったね。迷うわけ無いだろう。朝比奈さんの危機に駆けつけないヤツは男じゃない。 通りの角を曲がり、こっちは長門のマンションの方だっけか、なんて思ったところで、俺は朝比奈さんを見つけた。 街路樹を背に立つ小柄な美少女、我らが朝比奈さん。 だがなんだ、あの化け物は。朝比奈さんの前方10メートルに立ってる、腕が4本生えた黒い塊みたいなのは。 「き、キョンくん!?」 朝比奈さんが俺の方を見て目を丸くした。まるでいるはずのない人がいたって感じだな。それはこっちも似たようなもんか。 「シャアア!」 朝比奈さんが俺に気を取られた瞬間を好機と捉えたか、怪物が四本の手で這うように走り出した。 早い、このままじゃ朝比奈さんが、と思う間もあらば、 「ぺっ、ぺるそな~っ!」 朝比奈さんが銃を――本物かあれ?――自分の眉間に当てて、引き金を引いた。 ぱぁん、と銃声がして、一瞬俺は朝比奈さんが本当に自分の頭を撃ったのだと思った。 だって頭の後ろから何かが吹き出したんだから。脳漿をぶちまけたと思ったのは当然だろう。 だがそれは青い色で、液体とか固体ってよりは気体って感じで、しかもそいつはもやもやとした塊から、 あっというまにはっきりとしたカタチに変化しやがって、この間1秒もかかってなかっただろうよ。 とにかく朝比奈さんから飛び出したそいつは、一匹のゾウに変化した。 ゾウといっても普通の四足のアレじゃない、人間みたいに二足歩行しているゾウだ。 しかも生意気に手には剣なんかもってる。ただリアルさは皆無で、ぬいぐるみみたいな外見なのが朝比奈さんらしいというか。 「い、いってくださいガネーシャさんっ!」 「ぱおーん」 ゾウが剣を振り下ろし、その一撃で黒い化け物は真っ二つ、どろどろに溶けて消えてしまった。 ……おいおい。なんだこりゃ。 俺に内緒で、また何かアホな映画の撮影でもしてるのかね? あたりを伺ってみるが、カメラをもったハルヒが隠れている様子も無い。 いったいどういうことだ―― 「朝比奈さん!」 きょろきょろしていたせいで気づいた。化け物が街路樹の上に隠れている。 そいつはさっきの化け物を倒してほっとしている朝比奈さんを狙って、飛び降りた。 「え――?」 間に合うか――俺は走った。 果たして怪物の手が朝比奈さんの小さな身体を潰すより早く、俺は彼女を突き飛ばし、さらに押し倒していた。 「き、キョンくん!?」 うお、柔らかっ。胸に手があたってる! 目の前には朝比奈さんのつぶらな瞳が……って、言ってる場合か。 「シャアアアア!」 狙いをはずした怪物が、忌々しげに俺を睨んでる――といいたいが、なんだあの顔は。まるでお面だな。 ハニワみたいな空ろな顔がマヌケだが、かえってそのマヌケ面が不気味かもしれない。 「き、キョンくん逃げて!」 逃げてって、朝比奈さんを置いて逃げられるわけないじゃないですか。 「あ、あたしは大丈夫だから――」 「シャアアア!」 怪物が俺たちに向かって飛び掛ってきた。やばい! 俺はとっさに朝比奈さんを庇おうとしたが、逆に前に出た朝比奈さんに庇われて―― 「きゃああ!」 怪物の腕が朝比奈さんを吹っ飛ばした。からんからん、と銃がアスファルトを滑って俺の脚に当たる。 「朝比奈さんっ!」 駆け寄ろうとした俺の前に怪物が立ちふさがる。このまま前に進めば俺が犠牲に、 かといって逃げれば朝比奈さんが殺される! 「く……」 足元に目を落とす。銃。すばやく拾い上げて怪物に向ける。怪物は一瞬怯んだように見えたが、 飛び跳ねるように俺に向かって来た―― 「キョンくん、自分を撃って!」 朝比奈さん!? 確かにさっき、朝比奈さんは自分に向かって銃を撃っていたが―― ええい、朝比奈さんを疑ってどうする。これでもし自分の頭を吹っ飛ばす結果になったら、それまでってことだろ。 俺は銃口を自分のこめかみに押し当てて、ごくり、つばを飲み込む、しゃれにならないぜこれは、し、死ぬのか? 「――ぺ、る、そ、な」 なんで俺はそんなことを呟いちまったんだろうね。わからん。わからんが、不思議な感じだった。 自分の中から、何かが弾け出すような感覚だ。一種のトランス状態と言ってもいい。ともかく、俺は、 引き金を引いた。 ぱぁん―― 乾いた音と共に、俺の中から何かが飛び出した。 それは――なんだろうねこいつは。 黒い雪だるまとしかいいようがない。 ジャアクフロスト? なんでかしらんが、そんなアホな名前が頭に浮かんだ。 まあなんでもいい、あの化け物を倒せ―― 思うが早いか、ジャアクフロストは口から炎を吐き出し、黒い怪物を一瞬で消し炭にしてしまった。 強いじゃねえか。だが雪だるまが火を噴くってのはどうなんだ。 とにかく俺は朝比奈さんの方へ走った。 「大丈夫ですか?」 「あ、あたしは大丈夫です。キョンくんこそ……」 「おかげさまで無傷ですよ。それより、一体なんなんですこれは? またハルヒのお遊びですか?」 「それは……」 朝比奈さんが口ごもる。まさかここまで来て禁則事項はないだろうが、話し辛いのだろうか。 「あの、長門さんの部屋まで来てください。そこで……」 長門? やっぱりあいつも噛んでるのか。 ああ、なんとなく見えてきたぜ。どうせそこには古泉もいて、いつもみたいに迂遠な解説をしてくれるんだろう。 俺は擦り傷ですんだらしい朝比奈さんを念の為におぶって、長門のマンションを目指した。 長門の部屋には案の定古泉がいて、さらに見覚えのある上級生……喜緑さんまで揃っていた。 「すみません朝比奈さん。救援に向かおうと思ったのですが、長門さんが不要だと」 古泉がニヤケ面でそんなことを言った。 「どういうことだ?」 「あなたが覚醒するのは分かっていた。状況は喜緑江美里が監視していた。問題は無い」 「監視? 覚醒? すまん、最初から説明してくれるか?」 「いいでしょう。まず……棺桶は見ましたか?」 ああ、自販機の隣にあったな。 「あれは象徴化した人間です――」 古泉の胡散臭い、もって回ったいつもの説明を出来るだけ簡潔にすませると、つまりこういうことらしい。 先月あたりから、深夜0時になると影時間とかいうのが始まるようになった。 影時間の間は普通の人間は棺桶になってしまう。 影時間の間は全ての機械が停止する。 棺桶になっている人間はぶっちゃけ時間が止まる。その間のことは感知しないし記憶されない。 ある程度影時間が過ぎると、元の時間に戻る。棺桶も人間に戻る。 影時間の間、シャドウという化け物が現れる。 たまに影時間に棺桶にならない人間がいて、そいつがシャドウに襲われると廃人になる。 棺桶にならない人間の中にはペルソナ使いの才能があるものがいる。 ペルソナ使いは自分の心を実体化させて攻撃できる。 シャドウを倒せるのはペルソナ使いだけ。 「わけがわからん」 とにかく今は影時間で、人を襲う化け物がいて、長門たちはペルソナを使って戦ってるってことか。 「まあ、かいつまめばそういうことです」 「それはわかった。しかし……こうも見事に知り合いだらけだとな」 やっぱりハルヒの仕業なんだろうな、これは。 「そういやハルヒの姿が無いようだが」 「彼女はいま眠っています」 喜緑さんが偵察用らしい丸っこい乙女型のペルソナを使い、ハルヒの寝室を空中に映し出した。 ……へそ出して寝てやがる。人の苦労も知らんで、気楽なもんだな。 「これが涼宮さんの望みかどうかは分かりませんが、少なくとも彼女は棺桶にはなっていない」 おい古泉、ハルヒのへそなんか見ても楽しくないだろう。こっちを見て話せ。 「失礼」 なに微笑ましいものを見るような目つきをしてやがる。俺が何か言ったか? 「しかしどうするんだ? 毎晩こんな化け物退治を続ける気か?」 「勝利条件は分かっています。次の満月に出現するボスを倒せば影時間は消えます」 「なぜ分かる」 「分かるのですから仕方在りません。これは僕だけでなく、長門さんや朝比奈さんも同意しています」 長門と朝比奈さんが頷いている。どうやら本当らしいが、まったく、なんのゲームだこれは。 「どうでしょう。戦力は大いに越したことはありません。あなたにも是非、我々と共に戦って欲しいのですが」 どうしてこう、訳の分からん事態に巻き込まれるのかね俺は。 いや、んなことはハルヒの事をこいつらから聞いた時にわかっていたはずじゃないか。 これからどんどんバカな話になりますよ、ってな。 それが嫌だったら、とっくにSOS団なんてやめてりゃよかったのさ。 だってのにいまだにずるずると続けてるのは、なんでなんだろうね。 一つだけいえることは、俺には選択権なぞとっくになくなってるってことさ。 「やれやれ」 そんなわけで、俺と長門、朝比奈さん、古泉の四人パーティで連日シャドウ狩りをやってるってわけだ。 シャドウに襲われた人間は廃人になるっていうが、実際に襲われてるヤツを見たことが無い。 どうやらこれも設定だけのようで、ま、ハルヒがそんなアホなことを望むわけもなし、その辺は心配はしてないんだがな。 だが俺たちはハルヒの本気ってのも分かってる。SOS団に手抜きは許されない。 俺たちが本気で戦ってやらなきゃ、恐らくハルヒも満足はしないだろう。 なので、俺は割りと一生懸命化け物退治にせいをだしていた。 おかげで毎日眠くてしょうがない。 他の連中には影時間なんてものは存在しないも同然だろうが、 俺たちは真夜中に数時間にわたって街中を疾走しなきゃならんわけで、 疲れるなというほうが無理がある。 「キョンってば眠そう。まさか夜遊びでもしてるんじゃないでしょうね」 「んなわけあるかい」 ハルヒめ、自分はぐーすか寝てるだけだからって勝手なことを言いやがって。 「ふーん。ならいいけどさ。勉強? 試験も近いしね」 ぐっ……忘れてた。もうすぐ試験じゃねーか。ぜんぜんやってねぇぞ、勉強なんて。 宇宙人組は余裕だろうが、朝比奈さんは大丈夫なんだろうか。古泉の心配はする必要もないだろうが。 「言っておくけど、SOS団の活動にそんなフラフラの状態で来たら張り倒すからね」 無茶言うな。いまから治せってか? 授業全て居眠りでこなせば、不可能じゃないだろうがな。 「なので、しばらくSOS団は休止。有希もみくるちゃんも古泉くんも辛そうだしさ」 ……まあ、ハルヒがいいなら別に構わんけどな。 「多少なりとも自覚があるのかもしれませんね」 ハルヒからSOS団休止宣言を聞いた古泉が、そんな分析をくれた。 「あのハルヒがそんなタマかよ。気まぐれだろ」 「そうかもしれませんね」 だから微笑ましい顔で見るな。気持ち悪い。 ともかくSOS団の活動が無いだけでも体力の消耗は抑えられる。 満月は明日だ、万全の調子で挑みたい。 「安心してください。満月前は疲労にはなりません。ここでレベル上げをしましょう」 なんだ疲労とかレベル上げってのは。そんな概念があったことに驚きだ。俺は何レベルなんだ。 「現在あなたのレベルは42。朝比奈みくるが44、古泉一樹が51。わたしは92」 一人だけ高っ!? 長門、何時の間にお前。 「メサイアが使える。さっきベルベッドルームに行って作ってきた」 もう何が何だか。 というわけで満月がやってきた。ボスとかいうのが出てくるはずだが―― 「まだ反応ありません」 喜緑さんはペルソナの力で街中にレーダー網を敷いている。シャドウの反応があれば即分かるはずだ。 俺たちはボスの出現に素早く対応できるよう、長門の部屋に集まって待機していた。 「いったいボスってのはどんなやつなんだ」 「分かりません」 想像してみる。今まで戦ってきたシャドウはみんな化け物じみていた。 とすると、ボスっていうくらいなんだから、とんでもない巨大な怪物とかだろうか。 「シャドウ反応――」 喜緑さんが微笑にやや緊張の色を浮かべて呟いた。 「ボスと思われる巨大なシャドウが出現しました」 「どこだ?」 「学校です――周囲にも多数のシャドウ反応。脅威度は低~中クラスですが、物凄い数です」 取り巻き付きかよ。まずいな。ボスにたどり着く前に消耗するのは避けたいところだが―― ハルヒは許しちゃくれないだろうな。しょうがねぇ、行くか。 「正面突破。だろ? ハルヒ」 学校の周りは凄まじい様相を呈していた。 とにかくザコシャドウの群れ、群れ、群れってやつだ。真っ黒い海にしか見えないね。 一つ一つを潰していたんじゃキリがない。 広範囲に影響を及ぼす魔法で片っ端から蹴散らして進むが、それでも気を抜くと押しつぶされそうになる。 「メギドラオン」 長門の魔法がシャドウの群れ300匹くらいを一気に吹き飛ばして、道を作る。 だがその道も少し進んだところで、他のシャドウに覆われてしまう。 そうやって少しずつ進んで、ようやく校舎の入り口に取り付いたところで、 「校舎の中はそれほど多くない」 喜緑さんからテレパシー通信を受け取った長門がそういった。 「外からの進入を防ぐ役が必要」 長門が玄関に仁王立ちになり、校舎に向かって進軍してくる津波のようなシャドウの群れを見据える。 「お、おい長門、そいつは……」 なんか死にキャラっぽい台詞だぞ。長門に限ってそんなことはないのだろうが。 「安心して」 長門が振り返らずに、 「わたしは死なない」 まあ――分かってるさ。死にはしない。絶対に。 だから長門、しんがりはまかせた。 ありがたくいかせてもらうぜ! 長門がほんのわずか頷いたことを確認し、俺と朝比奈さん、古泉は校舎の奥に向かった。 俺の愚者、朝比奈さんの星、古泉の魔術師のペルソナが、現れる敵を次々に吹き飛ばしていく。 「ボスの反応は部室棟の方から出ています。恐らく――文芸部」 喜緑さんのナビが頭の中に響く。 なるほどね、らしいじゃないか。 「ですが気をつけてください。その手前に強力なシャドウの反応が――」 言い終わる前に、そいつは目の前に現れていた。 巨大なダルマみたいなシャドウだ。かっこつけて剣なんかもってやがる。似合わないぜ、化け物め。 「キョンくん」 朝比奈さんが俺の前に出る。 「ここは僕たちに任せて、先に行ってください」 古泉まで。おいおい、なんだそれは。 「このシャドウには物理攻撃が通じません」 喜緑さんの分析に古泉が「だそうです」と頷く。 くそ。確かに俺のペルソナは物理攻撃主体だ。こいつ相手には役立たずもいいところだが。 「行ってください。すぐに追いつきます」 まったく、なんでこいつらはかっこつけなんだろうね。 これで俺一人でボスと対峙して、一方的にボコられてたらどうする気だろう。 とにかく古泉に言うことは一つだけだ。 朝比奈さんに傷一つつけてみろ、俺の怒りの鉄拳が飛ぶからな。 「努力しますよ」 古泉と朝比奈さんがペルソナを召喚し、激しい炎と風でシャドウを攻撃し始めた。 シャドウが二人がかりの魔法に身動きがとれずにいる隙を縫って、廊下の向こう側に駆け抜ける。 あの二人が負けるはずは無い。 俺は一路、ボスが待つであろうSOS団の部室に向かって走った。 部室棟の廊下にシャドウの姿は無かった。 どうやら俺が一人で来ることを見透かされていたというか、まるで誘われているみたいだな。 いいさ。乗ってやるとも。 俺は慎重な足取りで文芸部の前まで進み、中に確かに何者かの気配があることを感じながら、 思い切って扉を開けた。 さて、ボスってのはどんな化け物だ――と飛び込んで、 俺は呆然としてしまった。 後姿だ。だが見間違えるわけは無い。 そいつは窓から外を眺めて、一人、震えていた。 何が見える――って決まってる。シャドウの群れだ。もしかしたら派手に暴れている長門の姿が見えてるかもな。 そいつは俺が入ってきたことに驚いたのか、びくっと肩を震わせ、恐る恐る、ふり返った。 「……キョン?」 おい、なんで泣いてやがる。なんなんだこれは。なんのジョークだ。 シャドウのボスなんじゃないのか? なんでこいつがここにいる? それとも別人か? シャドウが化けてるのか? だが、俺がそいつを見間違えるなんてことはありえない。 いつも見ている。この部屋で、毎日顔を突き合わせてるんだ。別人と間違えるなどあろうはずがない。 だから俺には分かる。そいつは真性、まじりっけなしの本物だ。 「なにやってんだ――ハルヒ」 「わかんない……気づいたらここにいた」 ふるふると震えていたハルヒが、俺の胸に飛び込んできた。 ……おかしい。おかしいぞ。ハルヒがこんな乙女ちっくなことをするか? 「なんなのここ? あの黒いのは何? どうして有希が戦ってるの?」 「いや、それは……」 お前が望んだんじゃないのか? 口にでかかった言葉を飲み込む。ハルヒ自身は知らないことだ。 「前にも同じようなことあったよね。灰色の学校に二人で迷い込んでさ……」 ……閉鎖空間のことか。確かにあれはそう簡単に忘れられる経験じゃなかったな。 「でも、よかった。いつだってキョンはそばにいてくれるんだよね」 ぎゅ、と俺の服を掴んで、潤んだ瞳を俺を見上げてきやがった。 おいおい、これこそ冗談だろう。なんでハルヒがこんなことをしてるんだ? やっぱりこいつは偽者なんじゃないのか? 俺はシャドウの精神攻撃を受けているんだ、そうに違いない。 ……なんてな。 んなわけあるか。何度も言わせるなよ。俺にハルヒの本物と偽者の区別がつかないと思ってるのか? ああ、そうさ、こいつは間違いなく本物だ。理屈じゃないぜ。こちとら伊達でハルヒの暴挙に付き合ってるわけじゃないんでね。 「キョンがいてくれたら、あたしは平気よ。どんなことでも耐えられるわ」 そう訴えるハルヒの視線は、どこまでも無垢だ。 いや、いつものハルヒも無垢といえば無垢なんだろうが、その辺のニュアンスの違いは読み取ってくれ。 とにかくこのハルヒはヤバイな。 何がやばいって、今俺がなに考えてるか分かるか? とても文章にはできないぜ? しかし本当、どうしたもんだろうな。 シャドウのボスを倒せば終わりとかいう話だったのに、実際にいたのは大人しいハルヒでさ。 まさかハルヒを倒せなんて無茶なことを言うんじゃないだろうな。 いっておくが、俺はSOS団なんぞで下克上なんか狙っちゃいないぜ。ハルヒはいつまでも団長でいればいいのさ。 だからこのハルヒを倒せなんてことは言わないでくれよ。マジで頼むぜ。 「――それはそれで面白いかもね」 声は背後から聞こえてきた。 「……なぜお前がここにいる」 俺は怯えているハルヒを背後に庇い、そいつを睨みつけた。 いるはずのない人間だ。現実世界にも、ましてやこの影時間にも、だ。 だがそいつは――楽しそうに笑って俺たちを眺めている。自分の存在に何の疑問も抱いちゃいないようだ。 「なぜかしらね? 恐らく――涼宮ハルヒがいまだ解き明かせない謎だからじゃない? 心にわだかまっていたのかも」 カナダへ転校したって話か。ハルヒ的にはもうすっかり忘れちまったことだと思ってたがな。 「まあ、それはトリガーでしかないんだけどね。普通ならその程度であたしが現れることも無かったんだけど……」 朝倉が視線を窓の外に向ける。振り返らないぜ、そんなことをした瞬間に刺されるかもしれないからな。 「解説役をまかされちゃったみたいね。いいわ、請け負ってあげる」 誰に向かって言ってるのか、朝倉が肩をすくめた。 「人の心は一様ではないわ。必ず内側に相反する資質を備えている。一方では人を愛し、一方では憎む。それは人それぞれがもつ仮面」 ハルヒが俺の服の裾をきつく握り締めるのがわかった。 安心しろハルヒ、朝倉が何をしようが、俺が守ってやる。 「涼宮ハルヒとて例外ではないわ。外に向ける顔、内に抑えた顔、自分でも意識しない顔、いろいろな顔の涼宮ハルヒが存在する。 人はそのときの都合に合わせて顔を使い分けていける生き物だけど、それが不器用な人間もいる。そういった人が抱えていくものは、 とりあえず今はどうでもいいけれど――涼宮ハルヒだけは例外だった。なにしろ彼女には世界を作り変える力がある」 くすくす。何がおかしいのか、朝倉が笑ってやがる。 「その顕著な例が閉鎖空間。あれは――ダメね。統合思念体ですら介入が困難。けれどその発生も最近は抑えられている。 原因はあなた、でしょう?」 知るか。ハルヒが大人になってきただけだろ。それはそれで、いいことじゃないか。 「まあ、そういうことにしよっか。だけどね、さっきもいったけど心は一様じゃない。それでは抑えられない不満もあるのよ」 だろうな。だいたい閉鎖空間の発生は抑えられてるたって、こいつが暴走しっぱなしなのは変わってないんだから。 「涼宮さんが不満を持っても閉鎖空間が発生しないのは、信じるに足るものがひとつあるからね」 なんだそりゃ。 「でも彼女の中には、それを少し疑ってる彼女が存在する。彼女は無意識のうちに一つの擬似的な閉鎖空間を作り出してしまった」 ――ったく。もういい、朝倉。それ以上の説明は聞きたくない。 「答えが分かった?」 この影時間がハルヒの作った世界だってのはまあ、そんなもんだろうとは思っていたさ。 原因がハルヒの欲求不満だってのも、な。 その不満ってのが何に起因するのか――それだけが謎だったが――いや、本当は分かってたのかもな。 いまさら気づいたってわけでもないんだ。 ただそいつを認めるのは、ちょっと気恥ずかしいというかな、微妙な心理があるわけだ。 「ふふ。どうやら本当に分かったみたいね。意外と、朴念仁ってわけでもないんだ?」 そりゃあな。いくら俺でもわかるさ。自信過剰とか言うなよ? 「言わないわよ。でもま、そうね。あたしがボスの役を買ってあげてもいいわ」 そりゃどういう意味だよ。 「この世界を生み出したのはそこの女――涼宮ハルヒの仮面のひとつよ。 彼女を殺せば世界は元に戻る。ただし彼女の心の内の何かが壊れてしまうかもしれないわね。 けれどこのまま生かし続ければ、シャドウを無限に生み出し続けるのは間違いないわ。 ――さ、どうする?」 まったく、演出過剰なこったな。ごくろうさんだ。 無駄にもほどがあるがな。選べる選択肢が俺には一つしかないんだから。 俺は背中に隠していたハルヒの肩を掴んだ。 「ハルヒ、その、なんだ……」 ハルヒは――朝倉の話を理解したのだろうか、不安と期待の入り混じった複雑な顔で俺を見上げている。 「キョン……」 「不安だったか? お互いなんつーか、不器用だからな」 こくり、とハルヒは頷いた。素直、なんだろうなこういう反応も。 しょうがないな、俺も素直になってやるよ。光栄に思えよ、まったく。 「悪かったよ、ハルヒ。でもな、安心しろ。俺はいつだって、お前のこと好きで好きでしょうがないんだから」 ああ、いっちまったぜ。クールな俺さようなら。きっと後で後悔するのさ。いいさ、後悔してやる。 だからハルヒ、泣いてんだか笑ってんだかわかんない顔はやめてくれ。怖い。 「うん……あたしも、キョンが好き。ずっと好き。いつだって、キョンのことばっかり考えてる」 「そうかよ」 「相思相愛よね」 「ああ」 「じゃあ……」 ハルヒが目を閉じる。結局なんだ、これなんだろうな。いつだって白雪姫なのさ、この女は。 むろん――俺に不満などあるはずもない。 ハルヒに習い、俺も作法に則ってやったさ。 目を閉じて、柔らかくて暖かな感触を、前よりもずっと長い時間、俺は受け止め続けた。 で、気が付けば俺はいつかと同じようにベッドで寝転がっていたわけだ。 夢だったのか――って、んなわけはないか。今更過ぎる。 もっともハルヒは夢だと思ってんだろうな。そいつがちょっと残念な気もするが―― ああ、まあいいや。あんなこっ恥ずかしい思いは、ぜひハルヒ的には夢だったと思っててほしいね。 それじゃあ何も変わらんような気もするが……ま、そのうちな。 告白ぐらいは、俺のほうからしてやるから、もうちょっとだけ待ってろ。 とりあえず心宇宙人だなんだっつーキテレツな話の整理がつくくらいの余裕は、与えてくれよな。 「人間、やはり素直が一番のようですね」 その日の昼休み、古泉がにやにや笑いながら近づいてきた。 「ぜひともこちらの世界でも、素直でいてくれるとありがたいのですが」 俺はお前に素直になってもらいたいね。俺の見たところ、相当な数の仮面を隠してるようだがな。 「さて、どうでしょうね。案外僕が一番仮面をかぶっていないのかもしれませんよ?」 信じるわけは無いだろう。 「キョンく~んっ」 と、こちらは仮面など使い分けられようがない朝比奈さんがタックルを。 「心配しましたっ。シャドウを倒して、急いでキョンくんのところにいこうとしたんですけど、なぜか文芸部の部室が消えてたんです!」 朝倉の仕業か。いちおう感謝はするぜ。さすがに俺もハルヒとのキスシーンを見られるのは恥ずかしすぎるからな。 「……」 長門はいつもどおり、読書中だった。 夕べのことに関しては、特に感想は無いのだろう。 全て分かってたみたいだしな。あの朝倉は長門の仕込みもあったんだろうさ。 だが、こいつも仮面を隠してるってことがあるんだろうかね。俺も知らない長門の顔ってのをさ。 無表情を見てると、そんな誰にも教えない秘密の長門ってのがあってもいいような気がしてきたな。 いつか見せてくれる日がくるのやら。 それでハルヒだが、まあいつも通りの傍若無人で、本当に昨日のアレはハルヒだったのかとも疑ったものだが、 「しばらくSOS団活動を休んでたんだから、今日からバリバリ再開するわよ! 土日はもちろん市内の探索だからね!」 こうして振り回されてるほうがハルヒって感じでいいだろうさ。 だからま、ずっと笑っててくれ。泣いてるハルヒなんて胸に痛いだけだしな。 そうだな。 俺は初めて願うぜ、次の市内探索は是非ともハルヒと二人っきりのペアになれますように、ってな。 相思相愛なんだったら、きっちりかなえてくれよ、ハルヒ。そのとびっきりの笑顔で、さ。 「今度こそ世界の不思議を見つけるんだから! ――ねっ、キョン!」
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3906.html
6 章 出社するとハルヒが雑誌を読んでいた。 「フフン~」 やけに上機嫌だ。雑誌を眺めるハルヒは、野郎がえっち本を見るときにでもしないような気味の悪いニタニタ笑いをしていた。見たところ、OggiとかMOREとか、ふつーに本屋の店頭にありそうな女性ファッション誌だが。 「なんか面白い記事でも書いてあったのか?なんでゴム手袋なんかはめてんだ?」 恐る恐る尋ねてみる。 「まあね、ちょっと見てよこれ」 二つ目の質問には答えてないぞ。なんだ、俺には女性誌を見るような趣味はないんだが。俺はハルヒの脇から雑誌の写真を覗き込んだ。 「あ、触っちゃだめよ。指紋つけないで」 「なんだ、いつから潔癖症になったんだ」 「このモデルの後ろに写ってる車、トヨタの新型よね」 「あーん?こんな流線型の車見たことねえぞ。プロトタイプとかじゃねえの?」 「そりゃそうよ。まだ出てないもの」 ハルヒはそう言って雑誌の表紙を見せた。モデルの服装は前衛的といか超機能的というか、シンプルというかそっけないというかそんな服だった。最近の流行ってこんななのか。と、どうでもいいような感想を述べようとしたところ、ハルヒはそんなことはどうでもいいのよという感じで発行年月の数字を指差した。 「おい、なんだこりゃあ、十年後だぞ!」 「あーもう、指紋つけないでって言ってるのに」 「未来の雑誌なんてどこで手に入れたんだ」 「あたしに頼んで送ってもらったのよ」 なるほど、頭いいな。 「未来の情報はおいそれとはあげられないとか言ってたから、せめてファッション誌くらい見せなさいと手紙を書いたの」 「それでこのファッションデザインなのか。どうりで時代離れしてると思った」 まあそれくらいの情報なら問題ないだろう。 「それだけじゃないのよねえ」 ハルヒはまたさっきと同じニタニタ笑いを浮かべた。机の上には化粧品のパウダーっぽいやつ、虫眼鏡、なんだか分からない液体の入った小瓶があった。 「なんだそれ?」 「まあ見てなさい」 ハルヒは卓上ライトをつけて、雑誌の表紙を覗き込んでアイシャドウの粉をふり撒いていた。化粧用の小さなブラシっぽいやつ、虫眼鏡を見ながら粉を塗っていた。それから雑誌を持ち上げてふっと吹いた。 「ぶ……ぶえっくしょん!!は、鼻に、えーくしょい!!」 ひとりでなにやってんのお前。ずずっと鼻をかんだハルヒが見せたものは、表紙に浮かび上がった指紋だった。ハルヒは黒いシールみたいなやつを取り出し、透明の部分を指紋の上に貼ってゆっくりとはがした。ゼラチン紙とかいうらしい。 「どう?バッチリでしょ」 そういや長門もやってたな、あんときはエンピツの芯の粉だったか。 「ああ、エンピツの粉は白いモノについた指紋を取りたいときね」 「やけに詳しいなお前」 「当然でしょ、あたしが名探偵だったのを忘れたの?」 探偵バリに推理を聞かされたことはあったが、まさか鑑識をやるとは聞いてないぞ。 「キョン、あんたの指貸しなさい」 「お、俺がなにかの犯人みたいじゃないか」 「いいから見せなさい、はぁやくぅ」 ハルヒは俺の腕をむんずと掴んでガラスの板に押し付けた。 「古泉くん、有希、あんたたちも見せてくれるわよねぇ」 ハルヒがニコニコ顔で言うと、古泉は苦笑しつつ、付き合ってやるかとしぶしぶ承諾した。ハルヒを名探偵に仕立て上げたのはそもそもこいつなんだからな。長門はなにも言わずに指紋を取らせた。 「うーん、キョンじゃないわねぇ。有希でもない。どう見てもあたしの指紋しか、ああーっ!!」 熱心にルーペを覗き込んでいたかと思うと奇声を上げた。 「どうした!?」 「古泉くんの指紋発見!!」 「え……」 別に驚くようなことじゃないんじゃないか?古泉が読んでたのかもしれんだろ。 「問題はそこでしょ。古泉くんがなぜ女性誌なんか手にしたのか」 「し、知りません。僕にはまったく心当たりありません」 当たり前だろ。なに焦ってんだ、返って怪しいぞ。 「古泉くんの指紋、右の親指ねこれは。切り傷があるわ、かなり深い。予言するわ、古泉くんは十年以内に親指に怪我をする」 それは予言じゃなくて指紋検出の結果を述べただけだが。古泉はまじまじと自分の親指を眺めた。そんな十年先の指の具合なんて今から心配してもはじまらんだろうに。 「そういうわけだから、親指には注意してね古泉くん」 「ご忠告ありがとうございます」 古泉はまた苦笑を浮かべた。こいつが親指をザックリ切っちまうのは、まだ先の話だ。 ハルヒがなにごとか思い立ったように出て行った隙に、古泉が耳打ちした。 「もしも僕が怪我をしなかったら、どうなるでしょうね」 「それくらいの未来は変わっても問題なさそうだが」 「もしもこれが既定事項なら?どんな些細なことでも変更すると大変なことになります」 ハルヒと入れ違いに朝比奈さんがやってきた。 「ごめんなさーい、遅れちゃって」 「朝比奈さん、ちょうどいいところへ。これを見てください」 俺はハルヒの机の上にある雑誌を指差した。 「これファッション誌ですよね。ふつうに本屋にある。わたしもときどき読んでますよ」 「ええ。十年後の発行ですけど」 「あらあら、まあ。どうしたんですかこれ」 「未来から送ってきたらしいんです」 「涼宮さんにも困ったものね。いくら雑誌でも未来の情報には変わりないのに……へー、こんなの流行ってるのね」 朝比奈さんがパラパラとめくりはじめた。そこで立ち読みしないでくださいよ。 「それにしても、なんで僕が女性誌なんか持ってたんでしょうかね」 古泉がいつまでも首をかしげていた。ドアが開いてハルヒが戻ってきた。 「あら、みくるちゃん来てたのね」 「おはようございます、遅れちゃってごめんなさい」 「それより見て見て、未来の雑誌よ。流行の最先端の百歩くらい先を行ってるわ」 先を行き過ぎて道を踏み外しそうだがな。 「見ました。こんな服、わたしも欲しいなぁ」 「タイムマシンが完成したらみんなで買い物に行きましょう」 「あ、いいですねぇそれ」 素直に賛同してみせている朝比奈さんが冷や汗を垂らしていることは、俺にはお見通しだ。 ハルヒがジャラジャラと音がする布袋を置いた。小銭の音か? 「なんだそれ、小銭の貯金か」 「銀行に行って五万円を五百円玉に両替してもらったのよ」 「な、なんでそんな大量に」 「未来に買い物リストとお金を送って買ってきてもらうのよ」 「なんで五百円玉なんだ。お札でいいじゃないか」 「バカね、十年も先ならお札のデザイン変わってるかもしれないじゃないの。こういうときはデザインの寿命が長い補助貨幣のほうがいいのよ」 なるほどな。って五万円分は重いだろう。 「まあまあいいから。あんたたちも買って欲しいものがあったら五百円玉よこしなさい」 俺は、と考えてはみたが別に欲しいものなんてなかった。ほんとに欲しけりゃ朝比奈さんに頼めばいい。 「なあ、思ったんだが、別に現金でなくてもいいんじゃないか?」 「どういうことよ」 「十年先くらいなら銀行に預金して通帳かカードを送ればいいだろ」 「あ……」 さすがにそこまでは頭が回らなかったか。突っ込みどころが的を得ていたらしく、ハルヒは顔を赤くして重たい袋をえっちらおっちら背負って出て行った。また銀行に行ったらしい。 「たっだいまぁ!」 「おう、おかえり。通帳にしたのか」 「普通預金はやめたわ。銀行の人が十年動かさないなら長期国債がいいっていうからそれにしたわ。これもひとつの投資よ」 猫型ロボットの漫画でそういうネタがなかったか。 「買い物頼むだけじゃなかったのか」 「あたしへの投資よ。利子の分はあたしのお小遣いよ、キヒヒヒ」 俺はハルヒが持ち帰ったパンフレットを読んだ。年率にして0.85パーセントくらいか。ハルヒがタイムトラベルを使った財テクに走り始めたな。よくない傾向だ。俺はこっそり朝比奈さんに尋ねた。 「これまずいですよね」 「いいんじゃないかしら?銀行の定期預金に十年眠らせておくのとあまり変わらないでしょう」 「それはそうですが。金儲けのためにタイムトラベルを使うのは問題がある気が」 「まあ会社は金儲けのためにあるわけだし、それにまだ時間移動管理の組織が生まれるまではいいんじゃないかしら」 未来人の朝比奈さんがそうおっしゃるならいいんですが。 「わたしは知らなかったことにしますね」 朝比奈さんは人差し指を立ててウィンクしてみせた。そ、そんな。なんだか犯罪の共犯っぽいことをしてるようで俺は不安になった。今に未来警察とかがやってきてガサ入れされるんじゃないだろうか。 「うーん、株を買うのもいいかもねぇ」 ハルヒのブツブツいう声が聞こえて俺は朝比奈さんを見た。朝比奈さんは困ったような顔をして笑っていた。 ハルヒはまだ虫眼鏡で雑誌を調べている。 「まだやってんのか。なにか分かったか」 「ふふっ。あたしはあたしの経営者としての能力を甘くみてたようね」 なんか微妙に矛盾してないかそれ。 「こういうファッション誌は四半期くらいで流行ネタが変わるから、このデザインをまねして売れば儲かるわよ。パリコレを先取りできるわ」 「なんという盗作」 「人聞き悪いわね。まねをすることは最高のお世辞なのよ」 まあ服飾業界の流行ってのは、誰かがはじめてみながそれをまねして広がっていく感じだろうけど。 「ちょっと生地を買いに洋裁店に行ってくるわ。有希も一緒に来て」 副社長にして我が社のコスプレイヤーはいそいそとハルヒについていった。次はどんな衣装になるのか楽しみである。 「おはようございます」 「朝比奈さん、どうしたんですその格好は」 「これがどうかしたかしら?」 「だって昨日までOLっぽい服装だったでしょう」 それまで新聞を広げて読んでいた俺は、古泉と朝比奈さんのやり取りに目を上げた。そこには流行を二十年くらい先取りしそうな、フィギュアスケートとゴスロリを合体させたようなきわどい格好の朝比奈さんがいた。 「朝比奈さんはもうコスプレしないんじゃなかったですか」 長門のコスプレがあんまり似合うんで考え直したのか。 「これはコスプレじゃありません、時間常駐員の制服ですよ。昨日もこの格好だったじゃないですか」 朝比奈さんが怒ったように言った。 「え、いつからそんな」 「いつからって、わたしが十五歳のとき常駐員になってからずっとですよ」 いつもと違う朝比奈さんに妙な違和感を覚えて、俺は禁則中の禁則を破る質問をしてみた。 「ちなみに今は何歳なんですか?」 「今年で二十五よ」 俺とその他二人は顔を見合わせた。朝比奈さんの年齢って確か禁則事項だったんじゃないですか。 「そんなことはないわ。二二九二年三月九日生まれの二十五歳。ほら、ね」 図らずも急に解禁になった鮎漁を知った釣り人でもここまで驚いたりしないくらいに、正直、俺は驚いた。朝比奈さんの歳は俺にとっちゃ鉄の壁だったのに。 ちょうどそのとき、ドアが開いてハルヒが出社した。 「おっはよ。有希、新しいドレスできたわよ」 打ち合わせで遅れるとか言ってなかったかこいつは。 「いいじゃないの、これが新しい事業展開になるかもしれないんだし」 ハルヒがトートバックから取り出した長門の新しい衣装は、漆黒のワンピースに白の派手なフリルを飾りつけたものだった。 「……」 「これ、あたしが苦労して縫ったのよ」 見るからに未来の雑誌からパクったもんだが、これは萌えるに違いない。アニメのキャラクタが着そうなド派手で誇張されたデザインだった。 「あれれ、みくるちゃん。その衣装どうしたの?似てるわね」 ハルヒが長門のために縫製したというドレスに非常によく似ている。スカートの丈が短くなっただけで、そこは進化したと表現するべきか。え……、進化? ハルヒは早速長門に着せて、朝比奈さんと並べてみた。 「二人とも似合うわ。アニメキャラの姉妹みたいね」 「確かに。長門さんはボリュームのある衣装が、朝比奈さんは露出度の高い衣装が似合いますね」 「露出度って……あんまりはっきり言わないで」 朝比奈さんが裾を押さえて顔を赤くしていた。もう古泉も遠慮なしだな。 このとき、なにかがおかしいということに俺たちは気がついていなかった。 次の日のことだ。 「あ、朝比奈さん、その髪いったいどうしちゃったんですか!?」 あの美しい、少しだけカールした長い髪がバッサリと短くなってしまっている。もしかして失恋でもしたんですか。 「やだキョンくんったら。わたしは元々この髪型でしょ」 朝比奈さんが苦笑した。俺は口を開いて、もっと長かったでしょうと言おうとして、「も」のところでやめた。これはまずい。平安京でうぐいすが鳴かない規模の歴史を書き換える事態が起こっている。古泉と長門の表情を見ると、同じ危険信号が浮かんでいた。頭に回転灯を乗せたら黄色いやつがピコピコ回りそうだ。これはいったい何が起こっているんだ。 「朝比奈さん、その髪型が短くなった経緯を教えていただけませんか」 「ええっと、時間常駐員はみんな短めなんです。長い人は束ねるか、結うかしないといけないの」 「その規則が出来たのはいつなんです?」 「わたしがこの仕事に就いたときにはこうでした。生まれるずっと前のことだと思うわ」 「敢えてお聞きしますが、この会社は未来ではどうなるんです?」 「時間移動技術を管理していますよ。一社独占で涼宮さんが初代社長です。わたしはそこの社員です」 この言葉が朝比奈さんの口から出てくるとは。俺たちが知る朝比奈さんと一致しない。 「もっと早く気がつくべきでした……」 古泉が思案げに言った。 「どういうことなんだ?俺にも分かるように説明してくれ」 「……因果律が歪んでいる」 「僕たちが知っている朝比奈さんから、様子が少しずつ変化しています。つまり歴史が書き換わっていると」 それってハルヒのタイムカプセルのせいなのか。 「……それはまだ不明」 「原因を突き止めないといけませんね。朝比奈さんはこの時間平面に泊まっていないんですか?」 「ええと、夜は未来に帰って日報を出して、次の日の朝また時間移動でここに来ています。時差ボケにならないように」 「ということは帰った後の朝比奈さんが時間の歪みの影響を受けているということになりますね」 「なにか変なことありました?」 「ええ。いろいろと、僕たちが知っている朝比奈さんとはだいぶ変化しているように見受けられます」 朝比奈さんの赤道上にはクエスチョンマークの衛星がいくつも回っているようだった。時間の歪みの渦の中にいる本人が知るはずもあるまい。 「みんなぁ、おっはよ!」 全員がそっちを見た。ドアを開けて満面の笑顔で入ってきたハルヒの髪は、バッサリと短く切られた上に、目も覚めるようなオレンジ色に染め上げられていた。 「ハルヒ、何があったんだ。その髪どうしちまったんだ!?」 「なによ、雑誌に載ってたヘアスタイルにしてみただけよ」 美的レベルAランク以上の女三人がそろってショートカットになるという、前代未聞のハプニングを見たわけだが、俺と古泉は三人を見比べながら、これはこれで趣があっていいななどと呑気に感想を述べ合っていた。 「おはようございます」 「あらキョンくん、おはよう」 翌朝、珍しく朝比奈さんが一番に出社していた。メガネをかけてパソコンの雑誌を読んでいる。ハイヒールを脱いでこともあろうに俺の椅子の上に足を乗せていた。もしかしてこれもコスプレの一種なのだろうか、細い銀縁のメガネをかけたちょっとインテリっぽい朝比奈さんは萌えた。 「キョンくん、お茶お願い」 「え、は、はいはい」 もしかして今日はすごく機嫌悪いのかもしれないと、俺は給湯室でお茶を入れて朝比奈さんに差し出した。 「お、お口にあいますかしら……」 なんで俺が朝比奈さんの口調をまねしてるんだ。 「ありがとう。うん、よく煎れてあるわ」 ホッ。よかった。突然、ぬるい!とか叫んで湯飲みを放り投げられたらどうしようかと。 朝比奈さんは読んでいた今日発売の雑誌をぽいとくずかごに放り込み、パソコンのモニタに向かってタッチタイプでカタカタとなにかを入力していた。未来にはこんな古い技術のネットワーク機器は存在しなくて、いまいち使い方も分からないとか言ってませんでしたっけ。 「おは……」 「おは、」 「……」 長門に勝るとも劣らぬ超タイピングスピードでキーボードを叩く朝比奈さんを目にして、ハルヒも古泉も、それから長門も、ドアを開けるなり言葉を失っていた。いったい何事が起こったのかと俺に尋ねる視線をくれるが、肩をすくめるか首をかしげてみせるしかなかった。 全員が呆然と朝比奈さんを見つめるなか、まあそういう日よりなのだろうと各々の机で自分の仕事に目を戻した頃、部屋にうっすらと煙が漂い始めてそっちを見た。俺は我が目を疑った。こともあろうに朝比奈さんがくわえタバコでキーボードを叩いている。 あれ、ここ違うわ、これじゃ効率悪いわね、などとブツブツ呟いていた朝比奈さんが、灰皿がわりの空き缶にタバコを押し付けてから長門に言った。 「長門さん、バグ直しといたわ」 ええっ。今なんとおっしゃいました。 「……そんなはずはない」 「いえ、ここの入力のところね、引数の型にひとつだけ例外があるのよ」 「……むぅ」 「あらごめんなさい、余計だったかしら?」 「……あなたは正しい。修正に感謝する」 「ほかのソースも見ておくわ。余裕あったらリファクタリングもしといてあげる」 いったい何が起こったのであろうか。文系の俺のために自ら説明すると、リファクタリングというのはすでに動いているプログラムのソースコードを修正して、見た目の動作はそのままにパフォーマンスを上げたり最適化したりする手法を言う。つまり一度誰かが書いたプログラムを再設計して、もっと効率を上げようというとてつもなくめんどくさい作業なのだ。最初に書いた人も、自分が書いたソースコードを勝手にいじりまわされるのは感情的に嫌らしい。 ともあれ、問題は朝比奈さんが今までやったことがないようなことを平気でこなしていることである。 「朝比奈さんってプログラマだったんですか?」 「あら失敬ね。わたしはこれが本業じゃない。ソフトウェア開発技術者の資格も持ってるわ」 斜に構えた朝比奈さんは、いつもと違って新鮮だ。ってそういう問題じゃない。 「知らなかった。いつからそうなんです?」 「あれ?だって専攻で情報工学を勧めてくれたのキョンくんじゃない」 「そうでしたっけ?」 これはなんだかおかしいぞ。そんな歴史、どう考えてもありえん。 「朝比奈さ~ん、ケーキお持ちしました!」 開発部の連中が近所で買ってきたらしい箱入りケーキを朝比奈さんにうやうやしく献上した。 「あらありがとう。気が利くのね」 「いえいえ、朝比奈さんのためならたとえ火の中水の中」 お前らいつから朝比奈さんの親衛隊になっちまったんだ、長門はどうした長門は。と、長門のほうを見ると、うさぎに畑を荒らされて頭を抱える農民のようなありさまで机に突っ伏していた。 俺は緊急会議を開いた。 「朝比奈さん、たいへん申し上げにくいんですが、どうやら歴史がかなりの部分で歪んでいるようです」 「あら、それはどういう意味かしら?」 眉毛をピクリと持ち上げる朝比奈さんに、どういうと問い詰められて俺が言葉に詰まっていると古泉が助け舟を出した。 「まだTPDDは持っていますか?」 「TPDDってなにかしら」 あれれ、TPDDのない朝比奈さんってただの人じゃないですか。あ、今のは言い過ぎました。 「僕たちの知っている歴史では、朝比奈さんは未来から来た時間調査員のはずなんです」 「またそんな冗談を。古泉くんらしくないわ」 一笑に付す朝比奈さんだった。 「僕は至極まじめです。いいですか、このままですと朝比奈さんの存在そのものが危うくなってしまいます」 古泉の気迫に押されたのか、朝比奈さんは笑うのをやめた。 「ええっと、TPDDって何の略かしら」 「確かタイムプレーンデストロイドデバイス、だったと聞いています」 「タイムトンネル、なら知ってるけど」 「それは時間移動するためのものですよね?」 「ええ。未来では電車みたいにあちこちにターミナルがあって、そこから乗るの。でもわたしは調査員なんかじゃなくて、プログラマの仕事に来ただけよ」 「妙な具合になってますね」 「どういうことかしら?」 「朝比奈さんの記憶が大部分において変わってしまっている、ということです」 「なぜそんなことに?」 「たぶん涼宮さんのタイムマシンのせいではないかと」 古泉は同意を求めるように長門を見た。 「……そう。未来からの情報が漏洩したため、この時間軸の延長線上にある新しい過去が交錯している」 「長門さんまで。みんな、本気なのね」 「……涼宮ハルヒのワームホールが、未来におけるTPDDの開発を阻害している」 「ってことはワームホールが時間移動技術の代表格みたいになっちまうのか」 「……そう。STC理論のような技術理論は廃れてしまう未来になる」 困ったな。ハルヒが会議室の壁に穴を開けちまったときやばい予感はしていたんだが。 「しかし、今になってハルヒにやめろと言うとまた神人が暴れだすぞ」 長門は一言だけゆっくりと噛んで含めるように呟いた。 「……わたしが、守る」 「守るって、どうやるんだ?」 「……ワームホールを閉じる」 「閉じてもたぶん、涼宮さんは何度もワームホールを作るでしょう」 「そうだな。あいつがあきらめることはまずない」 「……ワームホールを二重化する」 「つまり?」 「……一旦向こう側に届いた物質は、即時に別のワームホールを通って戻ってくる」 「郵便があて先不明で戻ってくるアレか」 「……そう。……?」 俺の例えが微妙にズレていたようで、長門は首をかしげていたが。 「朝比奈さんにTPDDがないとすれば、どうやって未来へ行けますか」 「あら、タイムトンネルのターミナルはこのビルの屋上にもあるわ。わたしがパスを持っているから入れるわよ」 「そ、そうだったんですか。いつの間にそんなものが」 「パスがないと入り口が開かないようになってるの。過去から侵入されると困るらしいから」 なるほど、そのへんは用心しているわけだ。 「じゃあこうしよう。長門と朝比奈さんが未来へ行ってワームホールを閉じる。俺と古泉がワームホールに手紙を入れて確かめる」 「……分かった」 「その場合、時間移動技術の歴史上でワームホールの利用が終わってしまいますが、お二人は無事戻ってこれるんですか?」 「……問題ない。この流れが修正されれば、TPDDが戻るはず」 長門がOKを出したので俺たちはさっそく穴の封鎖に取り掛かることにした。長門と朝比奈さんを見送るために屋上まで行った。 ビルの屋上はガランとしてなにもなく、乾いた冷たい風が流れているだけだった。朝比奈さんがブレスレットをはめた左腕を空中にかざすと、丸いシャッターのような円盤が現れて真っ暗な穴がぽっかりと開いた。覗き込むとはるか下のほうに青白い光が渦巻いている。俺と古泉は底なしの穴に足がすくんで、うわと声を上げた。 「タイムトンネルよ。行き先を入力したからそのまま飛び込めばいいわ」 「えらく簡単なんですね。この技術が消えてしまうのはちょっともったいない気がしますが」 俺はいまさらなにを言ってるんだという目で古泉を見て、二人をせかした。 「朝比奈さん、じゃあよろしくお願いします」 「分かったわ」 「時計を合わせましょう。今から五分くらいしてからワームホールを閉じてください。長門、後を頼む」 「……分かった」 二人が穴の中へ飛び込むと、シャッターを切るように入り口は閉じた。その空間を手で触っても、もうなにもなかった。 「俺も行けばよかったかな」 「同感です。もったいないことをしましたね」 まあしょうがない。誰かが残って確かめないことには。 俺と古泉は会議室に戻った。 「ハルヒ、個人的にタイムカプセルの実験をしてみたいんだが」 「もう、あたしは洋服のデザインで忙しいのに」 計画どおり大理石を埋め込み、パテで隙間を詰めた。なんとかごまかしてハルヒにかしわ手を打たせ、部屋の外に追い出した。今ごろ向こうでは長門と朝比奈さんが、この同じ空間でワームホールを閉じているに違いない。どうだろう、ちゃんとうまくいっただろうか。 それから五分くらいして、白く光る人の形をした影が現れ、長門と朝比奈さんが戻ってきた。いつもの服装に戻っているところを見ると、どうやらTPDDは戻ったらしい。 「ただいまキョンくん、わたしなにかいろいろ変なこと言ってたそうね」 「いえいえ、たまにはああいうのもいいんじゃないでしょうか。新鮮でよかったですよ」 などと言いながら、もうあんな朝比奈さんは二度とごめんだという表情を隠し切れない俺だった。 「実は未来で長門さんに会ったの。わたしたちを待っていたみたい」 「なにか言ってましたか」 「……」 長門は俺の顔を見つめ、なにか言いたいことがありそうなのに言葉にならないような、複雑な表情をして口を開けてはやめ、口をパクパクしてなにかを言おうとしている。それ、禁則事項? 「長門、どうしたんだ?未来でなにかあったのか」 長門はいきなり走り寄り、飛び上がって俺に抱きついた。細い腕を背中に回してきつく抱きしめてきた。 「きゃっ、長門さんったら」 朝比奈さんが信じられないという様子で口に手を当てている。 「これはこれは、お熱いですね」 古泉がカメラを取り出して写真に収めようとしたのだが、朝比奈さんに睨まれてやめた。 「な、長門、み……みんなが見てるって」 かつてないほどの激しい長門の衝動に俺は戸惑って、顔が真っ赤になるのを感じた。でも、こういうところを長門が見せるのは嬉しかった。長門は俺の肩に顔を埋めてピクリとも動かない。俺はそのまま長門の体を抱えて、会議室のドアを背中で押して外に出た。その間にも長門は離れようとはしなかった。 ハルヒがぽかんとした表情で俺たちを見ていた。俺と目が合うと、顔を真っ赤にして、 「あ、あたしタバコ買ってくる。あたし吸わないんだったわ。じゃあハッカパイプとかシガレットチョコとかキセル乗車とか……」 意味不明なセリフをつぶやいて出て行った。 俺は長門が落ち着くまでじっと抱いていた。ほんのりとリンスの香りがする薄紫色の髪をなでた。未来でなにを見たんだろう。もしかして、俺が死んでたとか。 「なにを見たのか、話してくれ」 「……自分の、未来」 七年前、長門は自分で選択して異時間同位体との情報リンクを断った。それが久しぶりに未来を見たということなのだろう。 「なにを見たんだ?」 「……あなたと、わたし」 なるほどな。未来の俺が死にでもしたらたぶん、長門は今ごろ暴走している。この長門の反応は、俺が描いている二人の未来に近かったんだろう。俺は長門の耳元でささやいた。 「じゃあその未来は、俺には内緒にしといてくれ」 俺は俺で、自分の未来を作る。 「……分かった」 俺は唇で長門の頬に軽く触れた。どうやら感電はしなかった。 会議室のドアを開けると朝比奈さんと目がかち合った。俺も朝比奈さんも顔が真っ赤になった。 「あ……朝比奈さん」 「あ、あの、ごめんなさい、別に立ち聞きしてたわけじゃなくて……」 「すいません。長門が未来の俺たちを見て感激したらしくて」 「わたしも見ました。ちょっとうらやましかったですよ」 なにを見たのか気になるところだが、知らないほうがいいだろう。 「それで、わたしたちは涼宮さんに遭遇してしまったんです」 「見られたんですか」 「ええ。ちょうどタイムカプセルを開けようとしたところを見つかっちゃいまして」 「ありゃ。それで、うまくごまかせましたか」 「いいえ。向こうの涼宮さんはわたしたちがやっていることを既に知っていたみたいです。因果律が壊れ始めていることを伝えると、分かってくれました」 「ハルヒにしては物分りがいいですね」 「ええ。もうタイムカプセルを使って対話するのは中止することになりました」 「それはよかった。ハルヒも多少は成長したみたいですね」 「それから、これを言付かりました」 朝比奈さんは例のメモリカードを差し出した。 「未来の涼宮さんからの、最後のメッセージです」 俺は一度内容を確認したほうがいいかとも思ったが、いちおう私信なのでハルヒの机の上に置いておいた。 「返事が来たわよ!」 ハッカパイプを吸い込みながら戻ってきたハルヒが素っ頓狂な声を上げた。 「みんな、再生するわよ。はやく見に来なさい」 これを待ちあぐねていた四人がハルヒのパソコンの前に集まった。映像に映るハルヒは、いつもより少し落ち着いて見えた。 『あんたと話すのはこれが最後よ。実は社屋を引っ越すの。今度新しく研究施設を建てたの。SOS団時間移動技術研究所よ。ここのタイムカプセルは大家さんに見つかる前に埋め戻さないとね。ああ、別のタイムカプセルをまた作ろうなんて考えてもだめよ。未来の情報はタダじゃないの。あんたが自分で、苦労して手に入れるものよ』 未来の自分から説教めいたことを言われて、ハルヒは眉間にしわを寄せた。余計なお世話だと言いたいのだろう。 『でも安心しなさい、あんたがほんとに欲しがってたものはちゃんと手に入れたから。ねっ』 画面の中のハルヒは、カメラのこちら側にいるらしき誰かに向かって親指を立て、ウインクした。映像を見ていたハルヒの顔がぱっと輝いた。 「よかった。やっと手に入れたのね」久しぶりに見るハルヒの笑顔だった。 『ほら、恥ずかしがってないであんたも映りなさいよ。過去のあたしに見せてやりたいの』 そこからの映像は途切れて砂の嵐になっていた。ハルヒが画面をガンガンと叩いた。 「もう!いいとこなのに。どうなってんの、このパソコン」 「おい、そんなに叩くと液晶が割れるぞ」 「キョン、なんとかしなさい。続きを見たいのに」 ハルヒは夕方五時アニメの続きが待ちきれない子供のように俺をせかした。ファイルを開こうとするが、読み込みエラーが表示されるだけだった。どうやらメモリカードそのものが壊れているようだ。俺はなんとかならないだろうかと長門を見たが、そっぽを向いて我関せずを決め込んだ。あの映像の続きには、なにか見てはいけないものがあったらしい。 朝比奈さんにも聞いてみた。 「映像の続きは見ました?」 「いいえ。メモリカードを受け取っただけで」 「カメラのこっちにいたの、誰なんです?」 「分かりません。あらかじめ用意してあったみたいなの」 結局、ハルヒが欲しがってたものがなんだったのか、ハルヒ以外の誰にも分からずじまいだった。 「キョンくん、ひとつ忘れていました。メモリカードの中に時間移動基礎理論の論文が入っているはずなんです」 その後、メモリカードはどこへということもなく消えた。ロッカーにしまっておいたはずなのだが、なくしたのか誰かが持っていったのかは分からない。俺が覚えている限りでは、さらに過去へとタイムトラベルしたのだろう。あれがいつ誰を経由してハカセくんの元に戻ってくるかは分からないが、今現在はとりあえず必要ないんだと思う。 エピローグへ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4829.html
文字サイズ小で上手く表示されると思います 「君達何? 面接? 悪いけど人事がみんな会議中だから、そこに座ってパンフでも見ててよ」 世界の真ん中に立つ塔は 楽園に通じているという 遥かな楽園を夢見て 多くの者達が この塔の秘密に挑んで行った だが、彼らの運命を 知る者はない そして今、また一人… ……俺達は苦難を乗り越えついに秘密兵器を完成させ、最後の四天王「朱雀」を倒し、楽園を夢見て塔を登ってきた……はずだ。 だが、目の前に置かれているのは湯気を立てている人数分のコーヒー、それと茶菓子がにしか見えないし実際にそうなのだろう。 座って待つように案内されたのはどうみてもコの字型8人掛けの応接用ソファーだし、回りを忙しそうに歩いているのはスーツ姿の 男の人やOLだ。広いフロアーには整然とデスクが並び、引っ切り無しに電話が鳴り続けている。 「なんなのこれ?」 文句を言いながらも、自分のコーヒーにスティックシュガーを入れて混ぜるハルヒ。 「あはは……」 とりあえず愛想笑いの朝比奈さん。 黙々と茶菓子とコーヒーを交互に口に運ぶ長門。 「塔の中にこんな場所があるとは思いませんでしたね」 等と言いながらも、すでにこの状態に馴染んでいる古泉。 何故、俺達がこんな所にいるのかと言えば……だ。 ――ハルヒが塔の中で見つけた扉を開いたら、そこはオフィスだった。 以上、回想終わり。 唐突にも程がある……、扉の向こうは雲の上だとか南国だとか廃墟の街だとかの方がまだ納得できるさ。 一応、これは形としてはゲームなんだろうからな。 「いや~お待たせお待たせ……って何時の約束だったかな?予定が立て込んでて把握しきれなくてね」 人が良さそうなおじさんが額に汗をかきながらソファーに座った。 多分、この人が人事の人なんだろう。 あの、ここって何の仕事をしてるんですか? どうみてもただのオフィスにしか見えないんですが……。 「え? 派遣会社から何も聞いてないの?あそこはいつもこれだからな……まあいいや、簡単に説明するよ」 何か致命的な誤解があるような気がしてならないが、まあいい。 おじさんはテーブルの上にパンフレットを一つ、俺達に見えるように広げた。 そこには塔の概観図、そして俺達が旅してきた各世界の概略がこまごまと書かれている。 「我が社はここ、塔の18階ね。で、各世界で起きた災害復旧とか資材納入とかを請け負ってるんだよ。阿修羅があちこち破壊して くれてとにかく人手が足りないんだ。勤務の条件や内容とか詳しい事は資料で渡すからしっかり読んでね、返事は派遣会社にして おいてください……っと。おじさんからはこれだけ、質問があれば聞くよ?」 手早くそれだけ言って、おじさんは手帳を開いて次の予定を確認している。 質問っていうか……この会社はいったいなんなんですか? あの、阿修羅ってなんなんですか? 朝比奈さんの質問におじさんは困った顔をした。 「さぁ……それはさっぱりわからないんだ。阿修羅が神様を封じ込めてるとか言ってる人も居るけど、神様なんているのかねぇ」 俺達の居る応接コーナーに背広の集団が案内されてきた。 この人達はどこから来たんだ? まさかその格好で塔を上ってきたとか言うなよ? 「ああ! お待ちしていました、第2会議室開いてる? 今から2時間程使うからよろしく」 忙しい空気に口を挟む隙間すら見つからない。 俺達に「のんびりしていってくれ、いい返事を待ってるからね」とだけ言って、おじさんはそのまま会議室とやらに向かって歩いて 行ってしまった。 取り残された俺達の中で、長門の茶菓子を食べる音だけが続いている。 「なんだったんでしょうね……」 朝比奈さん。多分、その質問にはゲームの製作者にしか答えられませんよ。 塔に戻った俺達は、業務に追われるオフィスと石造りの塔のギャップに耐えて歩いていた。 廃墟と化した都市世界も、元はあんな感じのオフィスがいっぱいあったのかもしれないな。 塔の通路から19階への階段に差し掛かった時、 「待って」 長門が急に口を開いた。 「どうしたの?」 長門は驚くハルヒをよけて一人階段に進んで行き、じっと階段の上を見つめはじめた。 何を見ているのかわからない、まるで天井の一角を見つめる猫のようだ。 長門、何か見えるのか? 動こうとしない長門の隣に立って同じように階段を見上げてみるが、俺にはただの階段にしか見えない。 「ちょっとやめてよ……そ~ゆ~怖がらせる事言うの」 いや、そんな意味じゃなくてだな。 「次の階は危険。早く通り過ぎたほうがいい」 階段からハルヒに視線を戻し、長門はそう続けた。 感情の感じられない長門の声でそう言われると、心霊スポットを見つけた霊能力者みたいに見えるんだが。 「え、そうなの……?」 演出って訳じゃないんだろうが、長門は少し間を置いてうなずいた。 ハルヒは回りを気にしながら早足で階段へ向かって行く。 「ぼ、亡霊とかが出るんでしょうか?」 朝比奈さんも幽霊か何か出ると思ってしまったようだな。 大丈夫ですよ。幽霊なんて居るわけないでしょう? 仮にも未来人の貴女が霊に脅えるなんて、ナンセンスじゃないですか? 「ううう……」 ハルヒ以上に階段の影や手すりを気にしながら、朝比奈さんも上の階へ登っていく。 ……まさか、未来では霊の実在が確認されてるんですか? ハルヒが居るから今は聞けないが、後で聞いてみることにしよう。 階段を上り終えた俺達は、長門の指示通り19階を探索しないまま次の階段へと向かった。 ぱっと見は他の階と違うようには見えないのに、霊が居るかも? と考えただけで不気味に見えてくるから、人間の認識という ものは不確定な物だと再認識した。というこの認識もまた、どうでもいい出来事で認識を変えてしまう人間の…… そんな終わらない理論について考えていると、いつのまにか20階への階段を見つけていた。 最後には駆け足になりながら階段を上り終えると、 「待って」 また長門が口を開く。 「な、何? またここも怪しいの?」 ハルヒが羨ましい事に朝比奈さんを抱きつきながら長門を見つめている。 「この階は安全。でも、19階に何かの遺志が残っている」 静かに呟く長門の声に、朝比奈さんが早くも顔を青くしていた。 おいおい、あんまり驚かすなよ。 「有希。そ、それってどうすればいいの?」 ハルヒも幽霊は怖いのか声が震えている。 「処理してくる」 それだけ言って、長門は階段を戻って行ってしまった……。 「ちょ、ちょっと有希? 危ないわよ! 戻りなさい!」 追いかけようとしたハルヒだが、階段から下へはどうしても戻る気になれないようだ。 「僕が行きましょうか?」 この手の話題に耐性があるのか、古泉は平気そうだ。 ハルヒはしばらく考えていたが、 「ん~……キョン、あんた行ってきてよ。有希はキョンの言うことは聞くみたいだから」 皮肉ではなく、本当にそう思っているようだった。 まあ、そうかもしれないな。 わかった。長門はこの階は安全って言ってたから、待ってる間にみんなで探索しておいてくれ。 心配そうに朝比奈さんが俺の手を掴んでくる。 「気をつけてくださいね……? 霊に取り付かれたりしないでくださいね? ね?」 妙に深刻に朝比奈さんが俺の顔を見ている、貴女の住む未来の世界はそれが普通の事なんでしょうか……。 「さっさと有希を連れてきてね!」 少しでも早くこの場を離れたいのだろう、ハルヒは俺の手を掴んでいる朝比奈さんを強引に引きずって先へと進んでいった。 古泉もため息混じりに手をあげて、ハルヒの後を追いかけていく。 取り残された俺は、じっと19階への階段を凝視してみた。 ……幽霊……? まさかね……。 19階の階段を降りて長門の姿を探すと、長門は階段のすぐ近くに立っていた。 待っててくれたのか。 「そう」 長門は俺が近づくのを見てからゆっくりと歩きはじめる。 「離れないで」 歩く歩幅は男の俺のほうが広いのだが、俺との距離が広がらないように長門は気を使っているようだった。 ……まさか、宇宙人のお前も幽霊が怖いのか? 長門の意外な弱点を知ってしまったと思った俺のゆるい思考は、次の言葉を聞いた瞬間止まった。 「この階は放射能によって汚染されている」 ………。 えっと……。 何も言葉にならない、とりあえず俺は長門との距離を縮める事にした。 長門、今お前。放射能って言ったか? 「そう」 前を見たまま答えるいつもと変わらない長門の返事が今日は怖い。 放射能って……あれか? チェルノブイリとか菜の花とかのあれだよな? 「そう」 菜の花は確か放射能に汚染された土壌を綺麗にしてくれる……ってそんなのどうでもいい! って! じゃあここに居たら危険なんじゃないのか? こうしている間にも被爆しまくってるんじゃないのか? 放射能なんて物騒な物に詳しくはないが、やばい物だって事くらい俺でもわかる。 「周辺の空間は正常化させている。5人でここを通った時は通路全体を正常化させていたけれど、今は余力が無いから範囲が 狭い。あまり離れられると安全を保障できない」 俺は急いで長門の小さな両肩にしがみついた。 しがみつかれた長門はというと、なんだか歩きにくそうにしている。 すまんが、耐えてくれ。 変な意味でこんな事をしているんじゃないんだ。 そ、それでここで何をするんだ? まさか放射能汚染を食い止めるとかなのか? 「無視できないイレギュラー要素がこの階の部屋から検地されている。それを処理する」 長門はフロアーにある扉の一つに手をかけて、開いた。 扉の向こうは下りの階段で、足元だけが照らされている。 ここは……? 長門に続いて俺が階段を少し降りると、長門はすぐに扉を閉めに戻った。 閉められた扉は分厚い合金製で、厳重なロックがされている。 「シェルター、この中は大丈夫」 長門は呟いて階段を降りていく、慌てて俺もその背中を追った。 しばらく階段を降りていくと、やがて下に部屋が見えてきた。 避難所の様な簡素な部屋の床に何かが見えている。 ……おい、嘘だろ? ――それは、倒れたまま動かない子供だった。 階段を駆け下りて手を触れてみると、その冷たさと痩せ細った体を見て人工呼吸といった措置が既に無意味なんだと告げていた。 痩せ細った子供の遺体は3つ。 これ以上見ていられなくて、遺体から俺は目を逸らした。 ……なんなんだ。ここは何の為にあるって言うんだよ!? 吐き気がして頭が締め付けられるように痛い。 ふらふらとしている俺を横目に、長門は奥の部屋へと歩いて行った。 駄目だ、歩けそうに無い……。 俺が近くにあったソファーに座ってそのまま休んでいると、奥の部屋から長門が戻ってきた。 奥にあったのだろうか? 長門はさっきまで何も持っていなかったのに、今は小さな手帳を持っている。 処理ってのは終わったのか? うなずく長門は俺の前に手帳を差し出した。 ――嫌な予感がする、でも見なくてはいけない。 俺は手帳を開いた。 几帳面な文字が書かれたページが続く、途中強く開かれた跡があるページがあった――そこには ‥‥なんとかこのシェルターに逃げ込めた。 限られた水と食料を長持ちさせる為、私は殆ど手をつけずに子供達に与えてきた。 だがもう限界だ‥‥ケン、ユキ。 お前達を置いていく父さんを許しておくれ。 アキラ2人の事を頼むぞ。 神よ、私の命と引き換えにこの子達をお守り下さい! 私‥は‥‥ そこから先のページはどれだけめくっても白紙だった。 なんだよ……なんなんだよこれは。 俺はそっと手帳を長門に返し、奥の部屋へ行ってみることにした。 暗い通路の先、シェルターの一室。そこには、横たわる無残な程に痩せ衰えた大人の遺体が一つ。 その傍には、何故か見覚えのある乾パンが置かれていた。 これは……都市世界で長門が食べてた乾パンだよな。 俺が子供達が倒れていた部屋に戻ると、長門が子供達のそばにしゃがんで乾パンを並べている所だった。 3人の子供の遺体の前にそれぞれ均等になるように乾パンを並べ終えると、そっと長門は立ち上がった。 「終わった」 誰に言うのでもなく長門は呟く。 もしかして、みんなにこんな状態を見せないように先に行かせたのだろうか。 静かに子供の遺体を見つめる長門は、いつもと同じ無表情でいる。 ――錯覚だろうか。 俺には、そんな長門が泣いているように見えたんだ。 「あ、お疲れ様です」 20階に俺と長門が戻ると、古泉が一人で待っていた。 その顔にいつもの笑顔は無く、なんだか難しい顔をしている。 俺と長門も似たような感じだろうな。 長門はいつも通りにしか見えないかもしれないが。 ハルヒと朝比奈さんはどうしたんだ? 古泉はフロアーの途中にある部屋を指差して、 「この先の資料室に居るんですが、ちょっと意外な物を見つけたんです」 とだけ行って歩き始めた。 意外な物ってのはなんだ? 資料室、そう看板が下げられた部屋はそこそこの大きさの書庫だった。 いくつかあるテーブルでは、朝比奈さんとハルヒが書類を山積みにして読み漁っている。 「それが、わからないんです」 わからないって……どーゆー事だよ? 「そのままの意味です。本当にそれが何を意味しているのかわからない……いや、わかりたくないと言った方が正確なのかも しれません」 古泉が差し出してきた書類に目を通してみると、そこには……。 アーサー‥‥11階 19-3-21 くろう ‥‥13階 50-2-18 ハーン ‥‥19階 72-6-14 ジーク ‥‥ 6階 24-2-12 リズ ‥‥12階 80-1-28 なんの記録かはわからない、名前と意味不明の数字の羅列が広がっている。 なんだこの記録は?いったい誰が…… 次のページを見た時、俺は目を疑った。 ――涼宮ハルヒ‥20階 生存 なんでハルヒの名前がここに書いてあるんだよ? それに生存って……。 まさか、これはこの塔に挑んだ人達の記録だとでもいうのか? 「だめ……他に生存してる人がいないか見たけど、これだけ探しても一人も出てこないわ……」 ハルヒが書類の山に読んでいた資料を叩きつけて埃を舞い上がらせる。 埃の向こうに見えるハルヒはあきらかに苛立っていた。 そりゃそうだ。 ゲームの中の誰かに、自分がゲームのキャラのように観察されているなんて気持ち悪いとしか思えない。 その時、俺は誰かが俺の事を見ているような気がして思わず振り返った。 しかしそこには壁があるだけで、誰の姿も見えない。 それでも、嫌な感覚は止まらなかった。 ……いったいなんなんだ? 不機嫌オーラを全開にしているハルヒが資料室を出て行き、俺達も無言のままそれに続いた。 21階で俺達はまた扉を見つけた。 長門、ここはどうだ? ここはシェルターみたいな事になっていないか?俺はそう暗に長門に聞いてみた。 何も言わないまま長門は首を横に振る。それはどんな意味だったんだろう。 「開けるわよ」 ハルヒが躊躇いがちに扉を開けると、隙間から明るい日差しと暖かな風。そして花の匂いが広がってくる。 「わぁ……!」 明るく声をあげる朝比奈さんの心理状態をそのまま具現化したかのような、そんな明るい花畑がそこには広がっていた。 思わず駆け出す朝比奈さんを追いかけて俺達もその部屋、というか花畑に入った。 色や種類ごとに綺麗に区画分けされた花畑の横には小川が流れ、遠くからは鳥の声も聞こえてくる気がする。 「素敵なところですね」 嬉しそうに微笑む朝比奈さんを見るのは、なんだか久しぶりな気がするな。 「さっきまでと全然違うのね……」 ハルヒはこの空間に不自然さを感じているのか、素直に気を許せないようだ。 正直、俺も気を許せないでいる。 ここも、あのシェルターを塔に繋いだ奴が準備したかと思うと何か裏がある気がしてならない。 「あ、あそこに家があるわ」 花畑の中央、草花に埋もれるようにその家は建っていた。 近づいてみると、家の窓からベットの上で寝ている老人の姿が見えた。 「……お休みのようですね」 別に無理に起こす用事もないからな。 邪魔しないように戻るか。 俺達が静かにその場を去ろうとすると、 「おお、もしやあなた方は‥‥塔から来られたのか?」 掠れた老人の声が家の中から聞こえてきた。 しまった、起こしてしまったか。 仕方なく家の中に入ると、老人は俺達を見て大きく目を見開いて返事を待っていた。 「ええ、そうです。起こしてしまってすみません」 頭を下げるハルヒを見て、老人は嬉しそうに微笑む。 「おお! やはりそうでしたか……どうぞこちらへ、お渡ししなければならない物があります」 老人はベットの上で態勢を起こし、年輪のような深い皺の刻まれた腕で手招きしている。 初対面の俺達に渡さなくてはいけない物? 勧められるままハルヒがベットの隣にくると、 「これを受け取ってください」 老人はベットの隣にある細長い棚を開け、一振りの剣を取り出した。 丁寧な装飾が施された鞘に収められた剣は、素人目にも高価な物に見える。 老人は両手で剣を持ち、ゆっくりとした動作でハルヒに剣を渡した。 「塔から現れる者に渡せと神から授かって以来50年。ついにその日が来ました」 満足げにうなずく老人を前に、ハルヒはさっそく鞘から剣を抜いてみた。 鍔元が鞘から金属音を立てて外れ、白銀の長剣が静かに姿を現す。抜き身になったその剣は、過度な装飾の無い実践向きな 長剣だった。 見た目は重そうに見えるが、ハルヒは木の枝でも振るうように片手で剣を振っている。 どうやら本当に信じられないほどに軽いらしい、振っているハルヒも驚いている。 「凄い……。おじいさん、この剣本当に頂いていいんですか?」 ハルヒが剣から老人に視線を移すと、老人はすでにベットに横になっていた。 「……おじいさん?」 老人の瞼は殆ど閉じかけていたが、なんとかハルヒに視線を向けて、 「これで安らかに眠れる‥‥ありが‥と‥‥」 そう言い残し、穏やかな表情を浮かべたまま老人は瞼を閉じた。 シーツの胸の部分が大きく膨らみ、そして下がって止まる。 ――それっきり、老人は動かなくなった。 俺達は誰も動けなかった。 苦しそうな素振りが少しでもあれば、心臓マッサージや人工呼吸をしたり19階まで走ってオフィスにAEDを置いてが無いか 聞いてくるとか考えられたと思う。 でも、老人の顔はまるで家の周りの花畑の一部なのかと思えるほど安らかだった。 ようやく古泉が動き出し、念の為老人の顔の上に頬を寄せ首筋にそっと手を添える。 しばらくそのままじっとしていたが、起き上がり俺達を見て首を左右に振った。 まじかよ……。 「みんな。ちょっと先に行ってて」 ハルヒが搾り出すように呟く。 その言葉に従うようにまず古泉が、続いて俺の顔を見ながら朝比奈さんが家を出て行く。最後に長門も家を出て行った。 俺はなんとなく出て行く気になれなくて、近くにあった椅子に座る。 剣を鞘にしまって、ハルヒはそれをテーブルの上に置いた。 テーブルの上の剣に視線を向けながら、ハルヒが小さな声で呟いた。 「これって私のせい? 私がここに来たからお爺さんは死んでしまったの?」 それは俺への質問ではないのだろう。 多分、自分に対して問いかけているんだと思う。 ……なんでこんなイベントが終盤に準備されているんだ? 破壊の裏にある経済活動、シェルターの悲劇、何者かの監視、そして出会うことで息絶える老人……。 こんなイベントで俺達に何を感じろって言うんだよ? テーブルに置いた剣を再び手に取り、ハルヒは鞘の革紐を解いて自分の腰に巻いて止めた。 柄を握り、抜剣に支障がないか確かめるとそのまま家を出て行く。 阿修羅が居るって話の23階まで残り2階……。 これ以上何も起こらないように祈りながら、俺も老人の家を出た。 「ああ、お待ちしていました」 懐かしい声が通路に響く。 俺達の姿を見て話しかけてきたのは、案内係の人だった。 22階はフロアーそのものが狭く、探すまでもなく23階への階段が見えている。 階段の前に立つ案内係の人は、優しい笑顔で俺達を眺めていた。 「この上に阿修羅が住んでいます。気をつけて!」 その言葉はとても温かいものだったのだが、ハルヒは案内係の人を完全に無視して23階への階段を上っていった。 お、おいハルヒ! お前が今不安定なのはわかるが、いくらなんでもその態度は失礼だろ? 「私のことはどうぞお気になさらず。きっと阿修羅との戦いの前に気が高ぶっているのでしょう」 案内係の人は困った顔をしながらも、腹を立ててはいないようだ。 阿修羅が居るって場所に一人で行かせるわけにもいかず、俺達も案内係の人に会釈をしながら階段を駆け上った。 23階は緩やかな階段が続く通路で出来ていて、その先には扉が見えている。 そして扉の前に立つ、大きなシルエット。 あれが阿修羅か……。 階段の先で待っていたハルヒは、俺達の姿を確認すると何かを確かめるようにうなずいた。 「……みんな、行くわよ」 落ち着き払った声でハルヒはそう言うと、ゆっくりと通路を進んで行く。 まあいい、今はとにかく阿修羅を倒す事に専念しよう。 まっすぐ伸びている通路を進んで行き、シルエットが巨大な人の形に見えて来た。 「あんたが阿修羅?」 ハルヒが大きな声で問いかけた。 人の形に見えていたそれは、腹の位置らしい場所から何かが生えているように見える。 「そうだ。よくここまで来たな」 阿修羅は面白そうに返事を返してきた。 俺達が脅威の対象ではないのか、その声は余裕だ。 「どうだ、1つ取引をしないか?」 「取引?」 近づいて、ようやく阿修羅がどんな姿をしているのかがわかった。 頭には正面と左右に合わせて3つの顔があり、腕は左右に3本づつ。 なるほど、確かに阿修羅だな……。 しかも身長は白虎よりも遥かに高く、天井近くまで達している。ここまでくると遊園地の着ぐるみにしか見えなくて、恐怖感がないな。 「四天王に代わってお前達がそれぞれ世界を支配するのだ。いい話だろう?」 にやにやと醜悪な顔を歪めながら阿修羅は俺達を見回している。 本気で俺達がそんな話を受けるとでも思っているのか? 「あんたが全ての黒幕なの?」 ハルヒの言葉に阿修羅が顔をしかめる。 「黒幕……とはどんな意味だ?」 「あんたを影で操ってる人は居ないの?って聞いてるの」 ハルヒの言葉を鼻で笑い、 「ふっ、そんな奴はおらん」 阿修羅は首を振る。 「あっそ」 ――俺の目には光が走ったようにしか見えなかった。 その一瞬でハルヒは踏み込みながら剣を抜き、そのまま目の前の阿修羅の足を切り払う。 直径でハルヒの肩幅程はありそうな阿修羅の足首は、あっさりと胴体から切断されていた。 「な?」 目の前の出来事が信じられないのか、阿修羅は反撃もできないまま階段に倒れる。 無理も無い。阿修羅から見れば子供サイズのハルヒが、いきなり自分の足首を切り落としやがったんだ。 俺も目の前で見ていて信じられないんだからな。 そのまま階段を上り、まだ自分の置かれた状態を把握できない阿修羅を見下ろしながら、 「あんたのせいで苦しんだ人達の仇。取らせてもらうわ」 ハルヒの剣がまっすぐ阿修羅の胸に突き刺さった。 おいおい……たった一人で阿修羅を倒しちまいやがった……。 俺達は何も出来ないまま呆然とその場で立ち尽くしている。 「何故……エクスカリバーをお前が……」 阿修羅は、自分の胸に深く突き刺さった剣を見て驚いている。 胸を刺された事よりも、むしろ刺さっている剣そのものを見て驚いているようだ。 「神よ……貴方は私を選んだのではなかったのですか……?」 「え? それっていったい…… 阿修羅の意識が途絶え、体から力が抜けると俺達の体は浮遊感に包まれ落下を始めた。 なんの抵抗もできなかった、なんせ床が突然なくなってしまったのだ。 落とし穴だ! そんな事がわかっても仕方ないが、暗闇の中を落下しながら俺は叫んでいた。 どこまで落ちることになるかわからないが、なんとかしないとみんな死んでしまうぞ?! 必死に長門の姿を目で追うが、みんなの姿はどこにも見えなかった。 遠くから声がする‥‥。 「もう一度上って来れるかー?」 ――誰かが優しく俺を揺さぶっている。 「……ョン君、起きてください?」 その優しい声を間違えるはずが無い、この声は。 朝比奈さん? そう呟いた俺の前にあったのは、期待した通りの朝比奈さんの顔だった。 「残念でした。ミレイユです」 が、違った。 嬉しそうな顔で俺を膝枕してくれているのは、空中世界で朝比奈さんと入れ替わったりと色々あったミレイユさんらしい。 改めて見てみると、ここは薄暗い塔の中ではなかった。 視界に入るのは広い高原、俺を見下ろすミレイユさんの笑顔。 すぐ近くにある石造りの町、この町はもしかして……。 「大丈夫ですか?」 辺りを見回す俺を、ミレイユさんが心配そうに見つめている。 ここはどこですか? 「ここは塔の1階、大陸世界です」 1階だって? じゃあ俺達は20階以上の高さからここに落ちてきたのか? それにしては体には怪我の一つも無い、っていうか普通死ぬだろ? みんなの姿が見えないが無事なんだろうか。 長門が無事なら多分、全員助かってると思うんだが。 あの、長門を知りませんか? 俺達と一緒に居た無口な女の子です。 すぐに思い当たったらしい、 「ほら。向こうに居ますよ」 ミレイユさんが指差す先では、長門が恰幅のいい男の人と一匹のスライムと会話していた。 長門、何をやってるんだ? 俺が長門に近づくと、長門の前に居た男の人は嬉しそうに俺の手を取り、 「鎧を手放して初めて本当に大切な物に気づいたよ。ありがとう」 嬉しそうに話しかけてきた。 ……えっと、この会話が成立しない人には覚えがあるぞ。 確か鎧の王様だったか? えっと、気になさらないでください。 俺は適当に答えて、鎧の王様の手を振り払った。 「私、幸せよ。あの人の子供がお腹の中に居るの」 今度の声は下から聞こえてきた。 ……そこには、うようよと動くスライムが一匹。 ああ思い出した、声は綺麗な村一番の美スライムさんか。 それより今、なんて言った? あの人の子供がお腹の中に居るだって? 改めて見てみたが、そこに居るのはスライムだった。 まさか、お腹の中に子供を入れて消化中って事じゃ……ないよな? ……まあいいか、長門ちょっときてくれ これ以上深く考えるのは止めよう。 俺は長門の手を引いて、とりあえずその2人? から離れた。 落とし穴に落ちた俺達を助けてくれたのはお前か? まあお前しかこんな事はできないよな。 俺の問いかけに長門はしばらく不思議そうな顔をしていた。 なんだ、お前じゃなかったのか? まさか古泉? 「私達は落とし穴に落ちていない」 長門の返答は俺の質問そのものを否定するものだった。 え? でもハルヒが阿修羅を倒したら急に床が無くなって……」 「床と通路を含めた全ての情報が書き換えられ、私達の位置が変わった様に見えているだけ」 すまん、さっぱりわからん。 頭を押さえる俺を見て、意味が通じなかった事を察したのか長門は続ける。 「何者かによって私達が居た周辺の情報が書き換えられた。ここは塔の23階であり、1階でもある」 さらにわからなくなった……とりあえずだ。 みんなは無事なんだな? 俺の質問に今度はうなずき、長門は町の一角を指差した。 そこにはハルヒに朝比奈さん、ついでに古泉の姿が見える。 よかったとにかくみんなの所へ行こう、状況の把握はそれからだ。 「あ、目を覚ましたんですね!」 「よかった、キョン君だけ目が覚めなくて心配したんですよ?」 町の中に来た俺と長門を出迎えてくれたのは、2人の朝比奈さんだった。 え~っと、ちょっと待ってくださいね。 まずは消去法でいこう。 さっき町の外に居たのはミレイユさん、ということはここに居るのはジャンヌさんと朝比奈さんだ。 服はどうだ? ……だめだ、今は2人とも同じ服を着ているからわからない。 「あ~私がどっちかわからないんですか?」 「え~ショックです」 2人はからかうように戸惑う俺を見て笑っている。 町にはジャンヌさんだけではなく、これまでお世話になった人達が集まっていた。さっきの鎧の王様に村一番の美スライムさん、 海洋世界の老人に、朝比奈さんのそっくりさん姉妹、さらにさやかさんの姿もあった。俺達との出来事で話題が尽きないのか、 塔の前は賑わっている。 やれやれ阿修羅戦までのあの緊張感はどこへやら、だな。 「何にやけてんのよ」 ハルヒがいつの間にか俺の後ろに立ち、腕を組んで睨んでいた。 まあそう言うなよ、やっとゲームも終わりなんだ。エンディングくらい笑っててもいいだろ? 俺の言葉にハルヒは顔を曇らせる。 「本当にこれで終わりなの?……なんかあっけなさすぎて信じられない。もしかしてあの阿修羅は偽物とか、幻だったんじゃない?」 それはお前が強すぎただけだろ? 今更だが、俺達は長門のおかげでドーピングがしてあるんだ。 ……と、俺は思いたいんだけどな。 最後に阿修羅が言った言葉、あれはいったい。 俺が顔を上げると、海洋世界であった老人が俺の顔をじっと見つめていた。 「お前等の倒した阿修羅はただの幻だったのか‥それとも‥‥」 まるで俺の心を読んでいるかのように、老人は独り言を言っている。 お爺さん、それってどういう意味ですか? 「‥‥‥」 お爺さんは何かを考えるように俯いて、それっきり口を開かなかった。 「この世界から出てっても私達の事、忘れないでね」 聞き覚えのある声に振り向くと、ライダースーツの女の子がハルヒに抱きついていた。 赤い鉢巻でポニーテールを結わえたさやかさんはもう涙目になっている。 「ばっかね~さやかちゃんを忘れるわけないじゃない」 さやかさんの頭を優しく撫でるハルヒも、なんだか寂しそうだった。 ――これで終わりかな。 阿修羅の言葉はすっきりしないが……まあこれで終わりってのもありだろう。 町の中央に見える大きな塔は、はじめてこの町に来た時と同じように天高くそびえ建っている。 塔の入口の扉に以前は無かった4つ丸い窪みが見える、あそこにクリスタルを入れて扉を開けるって事なんだろうな。 扉の向こうはもしかして現実世界なんだろうか? 「あの扉の向こうに楽園への真の道があります」 その声は騒がしい町の中だというのに、不自然な程にはっきりと俺の耳に聞こえてきた。 別れを惜しむように盛り上がる輪から外れた場所に、あの案内係さんが一人で立っている。 あなたはいったい……? 俺の質問には答えないまま、案内係さんは塔の扉へと俺を促す。 示されるまま扉へと近づくと、自然に扉は開いていった。 扉の向こうには、残念ながら現実世界ではなく上へ登っていく階段が見える。 「あ! キョンあんた何勝手に一人で先に行ってるのよ!」 怒った顔のハルヒ、困った顔の古泉。名残惜しげに大きく手を振る朝比奈さんと、それに付き合うように手を軽くあげたまま 歩く長門。 全員が塔の前に揃った所で、ハルヒは町を振り返った。 「みんな! ありがとう! 元気でね~!」 楽しそうなハルヒの声をバックに、俺達は塔の中へと歩き始めた。 塔の中は、何故か階段ではなくエスカレーターが設置されていた。 「最初からエスカレータにしてくれればよかったのに」 エスカレーターの手すりを逆方向へ引っ張ると言う無意味な抵抗をしながら、ハルヒが誰に言うでもなく不満を言った。 それだと味気ないからじゃないか? 「やれやれ、これでクリアですね」 古泉が嬉しそうに息をつく。 お前、前にも同じことを言わなかったか? 「そうだったかもしれません」 俺に指摘されて古泉は小さく笑う。 これでまた海洋世界が待ってたら笑えないけどな。 敵が現れる事も無く、俺達はのんびりとエスカレーターに乗っていたのだが、 「先に行ってるわ!」 ハルヒは飽きたようだ。 おい! あんまり一人で先に行くなよ? 「わかってる~」 エスカレーターを2段飛ばしでハルヒは上っていってしまった。 まてよ? 本当にこれで終わりなのか? 長門、もう敵は出ないんだよな? あっさりと長門はうなずく。 そうか、ならほっといてもいいか……。 ほっとした俺に長門の追加説明が入った。 「大丈夫、エンカウント率は0のままにしている。本当はこのエスカレーターには復活した四天王が配置されていた」 マジか?! ……じゃあまだエンディングじゃないんだな。 やっぱりラスボスは別に居るって事か。 「このままエンディング」 終わりなのかよ?! 「復活した四天王以外にボスのような敵の情報は存在しない」 なんだそりゃ? ゲーム的に考えたら、復活した四天王って展開の後に待ってるのは真のラスボスの登場なんだが。 「変わった趣向ですね。このゲームの製作者の意図はよくわかりません、エンディングではどんなイベントが待っているんでしょう?」 こうして塔は救われた……塔を救った勇者達は元の世界に戻り、変な空間に閉じ込められる事も無くなって平和に暮らしましたとさ。 これじゃだめか? 「パレードとかあるんでしょうか?」 それは、どうでしょうね。あるかもしれませんよ? 来春公開の映画の内容を予想するようなのんびりとした時間を過ごしていると、 「遅いじゃない!」 エスカレーターはいつの間にか俺達を最上階まで運んでくれていた。 お前が勝手に先に行ったんだ。 エスカレーターの終わり、ハルヒの立つ後ろには大きな扉が見える。 今度こそ現実に戻れるんだろうか? 期待する俺の顔を見てうなずいてから、ハルヒは扉をゆっくりと開くとそこには……。 「これが楽園なの?……殺風景なところね」 白かった。 むやみに広く白い空間、足元はコンクリートなのか石なのかわからない不思議な質感の床がありどこまでも広がっている。 見上げる空には雲ひとつなく、というか太陽がなかった。 それなのに、不自然なほどに明るい。 地平線が見えないほどに広がったその空間には、所々適当に家具が置かれていた。木が生えている所もあるのだが、それは 何の法則があるのかわからないような疎らな生え方で、自然の状態には見えない。 風も無く、何の音もしない。 まるで最初に俺達が来た、あの白い部屋みたいだ。 「す、涼宮さん」 朝比奈さんの驚いた声に振り向くと、さっき俺達が通ったはずの扉はそこには無かった。 代わりにとでも言うのか、小さな泉が扉があったであろう場所の地面から沸いている。 閉じ込められちまったってことか? 「向こうに川が見えますね」 古泉が指差す方に、一直線に伸びる川が見えている。 他に目標になるような物もなかったから、とりあえず俺達は川の方へと行ってみた。 川は側溝を広くした程度のもので、またごうと思えばまたげてしまえるのだが川の上流に小さな橋が見えている。 橋があるって事は、その先に何かあるんだろうか? 異様な雰囲気にその後は誰も口を開かないままで橋へと歩いていくと、視界に見覚えのある姿の男性が見えてきた。 男性は木製の椅子に座り、テーブルに置かれたいくつかの水晶をじっと見つめているようだ。 「まずい事になりました」 古泉が小声で話しかけてくる、いつものにやけ顔はそこにはなく真面目な顔でこちらを見ている。 何がだ。 「手短に言います、涼宮さんと同じ力をあの男性から感じるんです」 周囲の環境を自分の思うがままに操る力、だったか? ……おい、まさか。 古泉はうなずく。 「今回の出来事を企てたのが誰なのか、それはまだわかりません。ですが、実行したのは恐らく……」 俺達が橋を渡り終えた時にはそれが誰なのかはっきりとわかった。 いつか聞いた古泉の言葉をふと思い出す。「その様な力を持つ存在を人は神と定義します」 顔がはっきりと見えるほどに近づいた所で、その人はようやく椅子から立ち上がる。 ――シルクハットをかぶり黒いスーツに身を包んだその人は、大陸世界の町で俺達を見送ったはずの案内係さんだった。 「やっと来ましたね。おめでとう。このゲームを勝ち抜いたのは君達が初めてです」 拍手をしながら案内係さんは近寄ってくる。 穏やかな笑顔はいつもと変わらないが、それはいつもの案内係さんではなかった。 「ゲーム?」 ハルヒが眉間に皺を寄せて聞き返す。 すると説明したくてたまらなかったのか、嬉しそうに 「私が作った壮大なストーリーのゲームです!」 両手を広げて案内係さんは明るく答えた。 「ど、どういうことなんですか?」 状況がわからないのか、朝比奈さんは脅えている。 「私は平和な世界に飽き飽きしていました。そこで阿修羅を呼び出したのです」 何考えてんだ! 俺の声に耳を貸す様子も無く、案内係さんは微笑んでいる。 「阿修羅は世界を乱し、面白くしてくれました」 その時の事を思い出しているのか、案内係さんは嬉しそうにテーブルに置かれた水晶を撫で回した。 水晶には破壊される町や繰り返される抗争が映っては消えていく……。 ふっと案内係さんの顔から表情が消え、水晶に映された映像も同時に途絶える。 「だがそれも束の間の事、彼にも退屈してきました」 ……なんてやろうだ……。 こいつ一人の娯楽の為に、都市世界の犠牲やあのシェルターの悲劇はあったっていうのかよ? 「そこでゲーム……ですか?」 怒りを隠そうともせずに古泉が呟くと、 「そう! その通り!! 私は悪魔を打ち倒すヒーローが欲しかったのです!」 嬉しそうに案内係さんは古泉を指差した。 「何もかも、貴方が書いた筋書きだった訳ですね」 古泉が睨みつけても、案内係さんからは笑顔が消えなかった。 「中々理解が早い。多くの者がヒーローになれずに消えていきました。死すべき運命を背負ったちっぽけな存在が必死に生きていく 姿は私さえも感動させるものがありました。私はこの感動を与えてくれた君達にお礼がしたい! どんな望みでも叶えてあげましょう」 本気でそう思っているのだろう、案内係さんの言葉は本当に感謝に満ちている。 もういい、黙れ。 聞くに堪えない。 俺が一発ぶん殴ってやろうと近寄ろうとすると、ハルヒが俺の前に出た。 「あんたの為にここまできたんじゃないわ! よくも私達を、みんなをおもちゃにしてくれたわね!」 我慢しきれず、ハルヒが老人の剣を抜いた。 剣先を自分に向けられても、案内係さんからは……いや、もうさん付けで呼ぶまでもない。 案内係は笑みを絶やさないでいる。 「それがどうかしましたか? 全ては私が創った物なのです」 黙って聞いていればさっきからこいつは……。 俺達は物じゃない! 俺は都市世界でハルヒに押し付けられた銃を案内係に向けた。 後ろでは朝比奈さんがこわごわとバルカン砲を構え、古泉も赤い玉を手に浮かべている。長門は何故かじっとしたまま動かないで いた。 「神に喧嘩を売るとは‥‥どこまでも楽しい人達だ!」 高らかに笑いながら案内係、いや神は俺達からゆっくりと離れていく。 ……逃げるつもりなのか? 隣に立つ古泉が神から視線を話さず呟く。 「涼宮さんがあの男を毛嫌いしていた理由が今ならわかる気がします。きっと、あの笑顔の下にあった邪悪さを無意識に感じ取って いたんでしょうね」 ああ、今となっては素直にあいつを頼りにしていた自分が恥ずかしいぜ。 古泉、一応聞くがあれはハルヒのお仲間みたいなもんなんだろう? お前らの機関としては倒しちまってもいいのか? 神から目を離さないまま、隣に立つ古泉に呟く。 「全く構いません。機関の考えはともかく、僕にも神を選ぶ権利はあると思いますから」 同感だ。 たとえ暴君で我侭だとしても、同じ神なら俺はハルヒを選ぶさ。 神はある程度離れた所で振り向いた。 そして俺達の顔を順番に眺めてから、何故かため息をついた。 「どうしてもやるつもりですね。これも生き物の欲望(サガ)か‥‥」 神の顔から、ついに微笑みが消える。 「よろしい。死ぬ前に神の力、とくと目に焼き付けておけ!!」 それまでの落ち着いた雰囲気を捨て、神は怒鳴りながら俺達に無防備に近寄ってきた! 俺や朝比奈さんが構える銃口を前にしても怯む様子は全く無い。 く、撃てないと思ってるのかよ? 撃つ自信はないが、このまま撃たないでいられる自信はもっとないぞ! 「こ、来ないでください!」 朝比奈さんが悲鳴混じりに叫んで引き金を引いた、朱雀をあっさり葬りさった銃弾は神に向かって真っ直ぐ飛んでいったのだが、 どれだけ撃っても何故か神には当たらずにすり抜けていってしまった。 長門がデータをいじってくれてるのに当たらないだと? 朝比奈さんは引き金を引いたまま、弾切れになった事にも気づかずに呆然としている。 俺も神の足を狙って引き金を引いてみた、が弾は虚しく地面にめり込んで止まる。 どうなってるんだ? 銃では倒せないと考えたのか、ハルヒが神に向かって走り出す。 あっという間に剣の間合いに入ったが、神は構えようとも避けようともしないでいた。 「懺悔なさい!」 ハルヒが老人の剣を高く振りかざし、神の肩から一直線に振り下ろした―― 「何をしているのですか?」 神の顔には笑顔が戻っていた。 そしてわざとらしく、ゆっくりとハルヒに問いかける。 ――神は何もしなかった。 阿修羅をもあっさり倒した老人の剣は確かに神の体を切りつけ、 「うそ……」 柄を残して消滅してしまっていた。 「まさか……私が創った武器で私が傷つけられるとでも思っていたのですか?」 動揺するハルヒに向かって無防備に腕を広げながら、神は笑っている。 「さあどうぞ攻撃なさってください。無残に散った人達の仇を討つのでしょう?」 「涼宮さんよけてください!」 ハルヒの背後に近寄っていた古泉が神に向かって赤い玉を投げつける。 玉は体をひねってかわすハルヒの目の前を通過して神に直撃する。 やったか? 爆炎が巻き起こり神の姿が見えなくなる、その間にハルヒは距離をとった。 炎が収まると、神は無傷のままそこに居た。 「私の創造物ではない存在だと……?」 神の顔からは笑顔が完全に消えている。 それに反比例するかのように、 「って事はとりゃー!」 ハルヒの明らかに顔を狙った上段蹴りが神を襲う、なんとか両腕で防いだものの 「ちいっ!」 神の表情に余裕は無い。 「素手なら殴れるって事ね! だったらいけるわ!」 さっきのうろたえた表情が嘘だったかのように、ハルヒは嬉々として神に接近していく。 顔を狙ったパンチを防ごうと神が腕を上げたところを掴んで下腹部に膝を入れ、さらに後頭部を両手で叩き落す。 無様に地面に崩れた神が起き上がろうとすると、今度は古泉の赤い玉が襲い掛かる。 2人の連続攻撃の前に反撃できず、神は防戦一方だ。 こうなるともう俺の出番はないな、朝比奈さんも何も出来ずにおろおろと戦闘を見守っている。 いいんですよそれで、ハルヒが神をノックダウンしたらタオルでも投げてやってください。 もう一人の傍観者、長門はハルヒではなく神の様子をじっと見ていた。 どうした長門? まだ何かあるのか? 俺が近づいても、長門の視線は神の動きに釘付けになっている。 長門? 「いけない」 神を見つめたまま、長門は答えた。 何がいけないんだ? 暴力か? そりゃまあ暴力はいい事じゃないが、あいつに同情はいらないぞ。 「彼を倒してはいけない」 神が動くのに合わせて、長門の瞳が細かく動く。 どうしてなんだ? まさか、あいつが居なくなったらこの世界が無くなるとかなのか? 「規模と力は限定されているものの、彼には涼宮ハルヒと同様の力があると考えられる。統合思念体は彼を新たな観察対象として 認定した」 ……その、認定されるとどうなるんだ? 「当該対象を観察し、情報を集める。また、当該対象に致命的な危害を加えようとする存在が現れた場合はそれを排除する。私の 担当は涼宮ハルヒ、遠からず統合思念体は彼を担当するインターフェースをこの場所に送り込む」 それってお前や朝倉みたいなのがここに来るって事なのか? 光の中に消えていったクラス委員の顔が記憶に蘇る。 長門はうなずき、そして続けた。 「新たなインターフェースの到着まで、私が彼を担当する」 ……それって。 「今よ古泉君!」 ハルヒのでかい声に振り向くと、とび膝蹴りが側頭部に決まり神が膝から崩れ落ちる所だった。間髪居れずに倒れこんだ神に 向かって飛んでいく赤い玉。 俺の隣で長門が何かを呟くと、赤い玉は急に進路を変えて地面に落ちてしまった。 「こら、ちゃんと狙って!」 起き上がる神に追撃しながらハルヒが古泉を指差して怒る、 「す、すみません」 頭をかきながら愛想笑いを浮かべる古泉は、そっと長門の方へ視線を送った。 古泉の顔に焦りが浮かんでいる、俺の顔にも浮かんでいるだろうな。 この世で最も敵に回してはいけない存在、長門が敵に回ってしまったのだ。 「この愚民どもめ……悔い改めよ!」 神は両手を広げて空に向かって何かを叫んだ。 見えない風圧のような何かが神から広がっていく、すぐ近くに居たハルヒは怯んだだけだったが 「きゃあ!」 「くぅっ!」 長門の傍に居た俺は影響を受けずにすんだが、朝比奈さんと古泉はその場に倒れてしまった。 「え、ちょっとみくるちゃん?古泉君?」 神に追撃してくる様子がないのを見て、ハルヒが倒れた朝比奈さんを抱き起こしに向かった。 となると俺は古泉か……。なんて残念がってる場合じゃない。 倒れたまま動かない古泉の元へ走り、背中に手を当ててゆさぶってみる。 おい古泉起きろ! 目を覚ませ! 俺が声をかけると古泉は目を開けてゆっくりと俺の手を掴んできた。 立てるか? 俺が引き起こそうと力を篭めると、逆に強い力でひっぱられて俺まで古泉の上に倒れてしまった。 って、何しやがる! 古泉は何故か俺の手を掴んだまま離そうとしない。 「意外ですね、貴方がこんなに積極的になるなんて」 妙に甘い声で古泉が囁く、っていうか囁くな気持ち悪い。 おい大丈夫なのか? 「ええ、僕はいつでもいいですよ?」 嬉しそうに古泉は俺を見つめている。 まて、これってまさか……。 「ちょっとみくるちゃん止めなさい!こら!そんなとこひっぱらないの!」 向こうでは朝比奈さんがハルヒの上に馬乗りになっていた。 「えへへ~抵抗しちゃだめですよぉ。さあ脱ぎ脱ぎしましょうね~」 とろ~んとした目つきで朝比奈さんはハルヒの服を脱がそうとしている。 「こらバカ! こんな事してる場合じゃないでしょ?! ちょっとみくるちゃん!」 2人とも混乱してるってのか? 「さあ、僕等も楽しみましょう?」 古泉の言葉の意味がやっとわかり、俺が本能的な恐怖を感じた時。 白く細い腕が古泉の額に触れて、そのまま古泉は意識を失って再び倒れる。俺の色んな意味での危機を救ってくれたのは、 無表情のまま俺達を見下ろす長門だった。 「わからない」 とにかく立ち上がり、まだ目を覚まさない古泉から俺は少し離れた。 何がわからないんだ? 古泉の今の言動の意味か? 頼むからそれは俺に聞かないでくれ。思い出したくも無い。 神の様子を確認してみると、ぶつぶつと何かを呟きながら自分の体についた砂や埃を念入りに落としているところだった。 「統合思念体との連結は依然限定的、指令は神と自称する男と涼宮ハルヒの情報収集、そして脅威の排除」 お前がわからない事を俺がわかるとは思えないが、それ以前に質問からわからんぞ。 つまりどうしろって言ってるんだ? 「涼宮ハルヒと神を自称する男、2人に対して危害を加える存在を排除する」 ハルヒに危害を加えるってのは神の事だろうが、神に危害を加えるってのはハルヒと……。 それって……俺達を……か? 長門は肯定しなかった、しかし否定もしなかった。 「その行動は涼宮ハルヒに極めて重大な影響を与えてしまうと考えられる。情報収集をする上でそれは避けなければならない。 でも、他に指令を遂行する方法が見つからない」 「……よくも、よくも万能の神であるこの我を地に這わせてくれたな……」 シルクハットを脱ぎ、髪型を整えてもう一度かぶりなおすと神はようやく落ち着きを取り戻したようだ。 くそっ! こっちは問題が山積みで忙しいんだ! もっとのんびり身なりでも整えてろよ! 「絶望という物を教えてやる……光、あれ!」 神が再び空に向かって何か叫ぶと、今度は視界が全て真っ白に覆われた。 目潰し? とにかく目を閉じてみた。 嘘だろ? それでも視界は真っ白なままだと? 「何よこれ? 何も見えないじゃない!」 ハルヒの声が聞こえるが、どこに居るのかすらわからない。 となると、俺達の中にはまともに動ける奴は一人も居ないって事じゃないか! 「せめてもの情けだ、何もわからぬままに殺してやろう」 神が何をしようとしているのか知らないがこのままじゃやられちまう! 焦る俺の手を冷たい誰かの手が握りしめる。 途端に俺の目に視力が戻り、目の前にはじっと俺を見つめる長門の顔があった。 ……助けてくれた……って感じじゃないな。 長門は俺の顔を見つめたまま、しばらくその場で立っていた。 そしておもむろに俺の腰に巻かれているホルスターから銃を取り出して、長門はそのまま銃口を俺へと向ける。 デジャブって奴か? かつて俺を殺そうとした同級生の言葉が思い出された。 『気をつけてね? いつか長門さんの雇い主が心変わりをするかもしれない』 朝倉の言葉は皮肉にも現実になっちまったわけか。 大人の朝比奈さんといい、長門といい、ハルヒの回りの人間が気をつけろって言ったら確実に危険が訪れるってのかよ。 長門は、いざとなれば俺がハルヒに「俺がジョン…スミスだ」と言う事を知っている。 そうなれば不確定要素のバーゲンセールだ、誰にも予想のできない未知の世界がくるんだろう。 だからこそ、長門にとって最大の不安要素は俺って事なんだよな。 無骨なマグナムは長門の細腕一本で支えられ、銃口は正確に俺の眉間を狙ったまま微動だにしない。 朝倉の時と違って動けないわけじゃないが、逃げようとか抵抗しようなんて考えは浮かばなかった。 それが無駄な事だってわかっていたし、これが俺の人生の最後だというのなら無表情な長門の顔を最後まで見ていたい。 長門の無機質な瞳に俺が映り、揺らいでいる。 ……揺らいでいる? 冷静で私情を挟まないというか、私情そのものが存在しないはずの長門はいつまで経っても引き金を引かないでいた。 俺をはじめて呼び出したあの日、長門は俺に自分の事を「この銀河を統括する統合思念体によって創られた、対有機生命体 コンタクト用インターフェース」だと説明した。 でも今、俺を見つめているのは誰だ? たとえ真実がどうであれ、俺には長門は大事な仲間だとしか思えない。 いや、俺にとって長門はそれだけの存在ではなく……。 俺の思考がまとまる前に、長門の目は閉じられ。 ――引き金は引かれた。 至近距離から自分に向かって発射された銃弾を見ることが出来る、そんな人間はこの世に居ないだろう。 万一居たとしても、高確率で死亡するだろうからやはりこの世には殆ど居ない事になる。 だが、俺の目の前で空中に静止しているのはどうみてもマグナム弾で、それはそのまま動こうとしない。 「通信情報連結。解除」 目を閉じたまま動かない長門が呟くと、マグナム弾は重力に従ってその場に落ちて乾いた金属音を立てた。 その音が合図だったかのように、長門の手に握られたマグナムが光に包まれて姿を変えていく。 数秒後、光は縦に伸びて一本の剣が長門の手に握られていた。 剣の刃は透明なガラスの様なもので出来ていて、刃の向こうには目を閉じたままの長門の顔が見える。 長門。 俺に名前を呼ばれて長門は目を開き剣を下ろすと、俺の手を取り剣を渡した。 この行動はさっきまでの長門の話からすれば、多分命令違反とかになるだろう。 いいんだな? 長門は俺の顔を見つめたままうなずく。 俺は空いている手で長門の頭を撫でてやった。 少しうつむいて、不思議そうな顔で長門はされるがままになっている。 いつもすまないな。 俺に撫でられながらも長門は横に首を振る。 しばらくの間、俺は長門の柔らかな髪を撫でていた。 覚悟を決めた俺が向き直ると、神は両手を空にかざしていて、その真上には巨大な赤い玉が出来上がっていた。 かなり上空に浮いているはずなのに、多少熱を感じる気がする。 太陽でも作ってるのか? あんなもんぶつけられたら即死だな。 そう思いながらも俺は何故か冷静になっていた。 おい! 俺は神に向かって怒鳴った。 その声に神に届いたようだが、意にも介さずにそのまま赤い玉を巨大化させていく。 やるしかない、俺は長門にもらった剣を握り神に向かって走り出した。 「ガラスの剣か……私が創った武器の中では最強の物だ」 視線だけを俺に向けながら神が呟く、 「だが、私が創った武器では私を傷つけることはできない……それくらい学習したらどうかね?」 知るかそんな事。 これで駄目なら全滅だろうが……俺にできるのは長門を信じる事だけだ! 「無駄なことを……」 加速した勢いそのままに飛び上がり、真正面から剣を振り下ろす。神はその様子を冷めた目で見つめていた。 その時、離れた場所で長門は呟いていた。 「アイテムコード、ガラスの剣のデータを置換」 俺の手に握られた剣が、再び光に包まれる。 「な………」 姿を変え、騒音を撒き散らしながら俺の手に握られていたのは、 「データ修正完了」 それは武器だと言うのもおこがましい大工道具、チェーンソーだった。 振り下ろそうとしていた動きはそのまま止まらず、驚いた顔のまま固まっている神にチェーンソーは振り下ろされる。 回転するチェーンが神に触れた瞬間。 まるで霧に突風が吹き込んだかのように神の体は四散していき…… ――かみは バラバラになった たった数秒の対峙で、世界をもてあそんできた神は何の痕跡も残さず消え去ってしまった。 やっちまったぜ……。 俺は振動を続けるチェーンソーを地面に落ろし、自分もその場に腰を下ろした。 今度こそ終わり、だよな。 もう戦闘なんてこりごりだ。 チェーンソーのエンジンも止まり、神が消えた空間は何の音もせず静寂に満ちている。 ――こんな場所で一人で居たらおかしくなるのもわかる気がするぜ。 俺は、ここまでじゃないにしろ殺風景な場所に住んでいる同級生へと視線を向けた。 「‥‥」 視線の先に居る長門はじっと俺を見つめ返してくる。 終わったぜ、長門。 「これからどうするんでしょうか?」 朝比奈さんがハルヒに肩を貸しながら俺のそばへとやってきた、どうやら正気に戻っているらしい。 ……そうですね、どうしましょうか。 俺は答えられないまま、とりあえず立ち上がった。 ハルヒは朝比奈さんにつかまって立っているが、まだ目が見えないのか視点が定まっていない。 「ねえキョン、そこに居るの? 神は?」 これは長門に頼んだ方がよさそうだな。 ああ。神は俺が倒したよ。 「あんたが?」 何で不満そうなんだよ。 俺は長門を呼んでハルヒの事を頼み、神の座っていたテーブルへと歩いていった。 テーブルの上には透明の水晶がいくつも並んでいる。 その表面には何も映ってはいない。 ……こんな小さな画面に映る世界を見るだけがあんたの楽しみだったのか。 神が作った世界は全てが神の思い通りになるんだとしたら、神にとってそれは退屈な世界でしかなかったんだろうな。 だからわざと壊したり、自分の意のままにならない存在を望んだりしたのか。 戦闘中は気づかなかったがテーブルの向こう側には真っ白な壁があり、そこには扉が見える。 テーブルに近づく足音に振り返ると、古泉だった。 ……見た感じ正気に戻っているようだが安心はできない。 身構える俺の隣に立ち、 「この向こうにも別の世界があるんでしょうか?」 壁の扉を指差して古泉が聞いてきた。 さあ、どうだろうな? もしかして楽園ってのがあるのかもしれないぞ? 試しに行ってみたらどうだ? 「僕はどちらでもかまいませんよ。万一この世界から出られないのであれば最低限の生活環境は確保しなくてはいけませんしね」 本気か冗談なのかわからない、いつもの口調で古泉は答えた。 そうかもな。でも、新しい世界を探さなくてもここも結構いいとこになったんじゃないか? 世界中のどこを探しても、朝比奈さんのそっくりさんが2人も居る場所なんて無い。 「そうですよね。悪い人はみんなやっつけちゃいましたから」 元気になったハルヒと長門を連れて、朝比奈さんもテーブルまでやってきた。 神に阿修羅に四天王。 この世界を支配していた存在は全部倒してしまった事になる。 ようやく目が元に戻ったのだろう、長門と一緒にハルヒが歩いてくる。 「ねえキョン、あんたはこのゲーム面白かった?」 水晶の一つを手に取り、覗き込みながらハルヒが聞いてきた。水晶の中で反転したハルヒの顔を見ながら答える。 それなりに、な。でもまあ所詮ゲームだ。 いつも巻き込まれてる不思議な出来事に比べればどうってことない。 「ふ~ん」 水晶をテーブルに戻し、ハルヒは俺達の前を通り過ぎて扉へと向かって歩いていく。 扉の前に立ったハルヒは、俺達を振り返った。 「行きましょう」 ハルヒの顔には迷いは無い、聞いても無駄だが一応聞いてやろう。 「何処へでしょうか?」 「何処へですか?」 何処へだ。 俺達の声が重なる。 我らの女神はいつものように胸を張り、満面の笑顔で宣言した。 「私達の世界へ!!」 そしてハルヒが扉を開き、隙間から溢れ出した光がその顔を照らす……。 「おい!誰か中に居るのか?」 乱暴にドアを叩き続ける音が狭い室内に反響する。 突然暗闇が視界を覆い、それが自分がヘルメットをかぶっているからだと気づくのにしばらく時間がかかった。 その間も苛立たしげなノックはエンドレスで続いていて、俺は慌ててヘルメットをテーブルに置いてソファーから飛び起きると ドアの鍵を外した。 扉を開けると、狭いブースの通路に知らないおじさんが立っている。 「あんた、いったいどこから入ったんだ?」 作業服に身を包んだおじさんは、俺の顔を見て不審そうな顔をしている。 えっと、入口の自動ドアからなんですが……。 「ああ、だから入口が開いてたのか。誰だ鍵を開けたままにしたのは……すまんがオープンは来週の日曜だ、また出直してきてくれ」 おじさんは俺を部屋の外へ追い出すと、部屋の中に色んな工具を運び込み始めた。 ……改めて自分の姿を確認してみる。 朝比奈さんに貸したはずの上着はちゃんと着ているし、ハルヒの力に負けて飛んでいったはずのボタンも全部付いている。 腰にはホルスターも当然銃もない。まあ、あったらあったで困るが。 ……ちゃんと現実に戻ってこれたって事か?それとも全部夢だったのか……? 俺ははっきりしない頭を振りながら、みんなを起こすために順番にドアを叩いていった。 全員が揃ってブースから出てみると、ゲームセンターの中には作業服に身を包んだ人が大勢溢れていて配線や機械の設定の 最中だった。 どうみても今日オープンって感じではないぞ、これは。 「なんで? オープンって今日じゃないの?……あれ? チケットって誰が持ってたっけ?」 ポケットを探すハルヒに長門が5枚のチケットを差し出した。 ハルヒはそれを受け取り、日付を確認してみる。 ……あの世界はやっぱり現実だったのか。 ハルヒが持つチケットの裏には、大陸世界で別行動する時に書いたマークが残されたままだった。 「来週じゃないのこれ!」 怒りにまかせてチケットを押し付けられた俺は、ハルヒがマークに気づかないようにそっと自分の上着にそれをしまった。 間違えた俺達が悪いんだ。とりあえずここを出よう、仕事の邪魔になってる。 俺の言葉を待っていたかのように、ブースの前に立つ俺達を押しのけるように大きな看板が運び込まれてきた。 看板には大きく「魔界塔士SaGa」と書かれている。 「ふ~ん……」 ハルヒは看板をしばらく見ていたが、やがて興味を無くしたのか出口へと歩いていった。 朝比奈さんが着替えを終え、俺達がゲームセンターから出た時にはすでに夕方を過ぎていた。 「……すみません、バイトが入ってしまいました」 外に出た途端、古泉がそう切り出した。 見るからにハルヒは不機嫌だからな、まあがんばれ。 「え~? ……古泉君はバイトだしもうこんな時間だし今日は疲れたし……今日はもう解散ね」 携帯電話を見ながらハルヒが愚痴った。 お前でも疲れるって事があるんだな。 解散と言って駅まではどうせみんな一緒に行くことになる。ハルヒについて長門と朝比奈さんが歩いていき、俺もそれについて 行こうとすると、 「よかったらご一緒しませんか? 今回のバイト先へ行く途中で貴方の家の傍を通りますので」 わざわざ俺だけを誘うって事は何か意味があるって事か。 俺は長門に古泉と一緒に帰る事を伝え、むかつくほど都合よくやってきた黒いタクシーへと乗り込んだ。 「今回は誰の仕業だったんだ?怒らないから言ってみろ」 俺の不機嫌な視線を受けながら古泉はいつもの笑顔で前を見ている。 「僕は最初、機関のメンバーの暴走。そう考えていました」 考えていました。って事は違うのか? 「ええ、残念ながら。確認してみましたがそのような事実はありませんでした」 いつ、どこで確認したっていうんだ? ……それはいいとして、 残念ながらってのはどーゆー意味だ? まさかお前、神になりたいなんて思ってるのか? 「今回のような力を持つ者が我々の機関に居れば、万一の時の切り札になるでしょう?我々には貴方のような切り札はありません ので」 何の事だ? 古泉の想像している切り札と、俺の持つ切り札は違うだろうがわざわざ教えてやる義理はない。 「ご想像にお任せします。さて犯人について、ですが」 知ってる事は全部話せ、知っていても何もできんかもしれんが心の準備はできる。 ついでに言えば、逃げ出す事もできなくもないかもしれんからな。 「長門さんでも朝比奈さんでもなく、涼宮さんも直接の原因ではなかったようです」 ……じゃあ誰だよ。 新たな人物の登場か? できれば常識のある人でお願いしたい。 「僕が以前、神の定義についてお話したのは覚えておいでですか?」 ああ、前にタクシーで聞かされたあれか。 残念ながら覚えておいでだ。 自らの意のままに世界を作り変えるような存在、などという妄想のことだよな。 「ではお聞きします。貴方も見たあの男性、彼は神と呼ぶべき存在だったでしょうか?」 シルクハットをかぶり、俺達を欺いてきたあの笑顔を思い出す。 いいや。 あんな奴が神様でたまるかよ。 面白半分に世界を壊すなんてのはテレビゲームの中だけにしておけってんだ。 「そうでしょうね。人間は神には自分達を庇護する親のような存在であって欲しいと願っているのでしょうから」 まるでお前が人間じゃないみたいな言い方だな。 天使なら朝比奈さんだけで十分だ。 「僕から見ても彼は神と呼ぶには身勝手過ぎました。涼宮さんが力を自覚したとしても、ああはならないでしょうね」 まだハルヒが神様だとでも言いたいのか? 「話が逸れました、ここから先は僕も聞いた話なので直接本人からお聞きになるといいでしょう。さあ、着きました」 俺の家まで送るとか言っておいてどこに運んでいるかと思えば……。 タクシーの窓から見える見覚えのある建物、それは長門の住むマンションだった。 まあいい、長門には色々聞いておきたい事がある。 俺は料金を支払う事無くタクシーを降りた。メーターが動いてすらいなかったからだけどな。 運転手も何も言わないでいる所を見ると機関とやらの一員なんだろう。 どうみても普通のドライバーにしか見えないが、閉鎖空間では赤い光に包まれて神人相手に戦っているのかもしれないな。 ……ゲームの世界よりも、むしろ現実世界の方が現実離れしてる気がしてならないのは俺の気のせいなのか? 「ではまた、部室で」 後部座席の窓を下げ、古泉は笑顔で手を振っているが……。 おい古泉。 一つ確認しておきたい事がある。 「なんでしょうか?」 ゲームの世界で、神の力でお前が混乱した時の事なんだが。あの時の事は覚えているのか? 意味深な笑みを浮かべながら、 「忘れられそうにありませんね」 寒気のするウインクを残して窓を閉めると、古泉を乗せた謎のタクシーは走り去った。 犯人は長門でも朝比奈さんでもなくハルヒでもない……まさか、俺だとか言うなよ? まあいい、ともかく長門に話を聞こう。 俺がマンションの入口に向かうと、暗証番号のパネルの前に立つ無表情な女子高生の姿があった。 こちらに無機質な視線を向けているのは、言うまでも無く長門有希。 どうやってタクシーよりも早くマンションまで戻ったのか? なんて事は聞いても無駄だろう。長門がその気になれば、距離も時間も関係無いんだろうし。 話を聞かせてくれるんだよな? 俺の言葉にうなずき、長門は暗証番号を入力してマンションの扉を開いた。 長門のマンションに入るのはこれで何度目になるんだろう? 一人暮らしの女の子の部屋を夜に何度も訪ねる俺の姿は、監視カメラの向こうではどんな風に見えているんだろうな。 恋人? 友達? それとも近所に住んでいる家族とか。 まあ、宇宙人に怪奇現象の発生理由を聞きに行ってるとか、過去に閉じ込められたので未来に帰る為の方法を聞きに行っている とか、暴走女を監視している事を打ち明けられに行っている等と想像できるような奴が居たなら即、SOS団に勧誘だ。 そんな妄想を広げながら現在の階数を表示するパネルを見ていると、目的の階に到達しエレベーターは停まった。 長門の部屋は以前見た時と同じで殺風景だった。 家具らしい家具は以前とかわらずコタツくらいしかない。 ある意味清清しいとも言える。 エアコンがついてるから暖房は大丈夫か、カーテンがないから非効率だな。 冬を目前に控えた宇宙人の暖房対策を確認していると、台所から長門がポットと茶器セットを持って戻ってきた。 電源コードの無いポットか、懐かしい物を持ってるんだな。 長門がお茶を準備し始めるのを見て、俺もコタツを挟んだ向側に座った。 俺の視線を気にする事無く、長門は黙々と急須にお湯を注いでいる。 古泉には先に犯人を教えたんだってな? 俺の質問には答えず、長門は湯飲みにお茶を注いで俺の前に置くとそのまま固まってしまった。 そのまま無言の時間が経過する。 ……お茶を飲むまでは質問には答えないつもりか? 宇宙人にはどんなルールが存在するのか知らないが、とりあえず俺は湯気を立てている湯飲みを手に取りそっとお茶をすすり 飲んだ。 もしかしたら、飲み干したらお代わりを注ぐのが長門の流儀なのかもしれない。 お茶を飲みながらそう考えた俺は、半分ほど飲んだところで湯飲みをコタツの上に戻した。 ……よし、お代わりは来ない。 俺が湯飲みから手を離すと、それに連動したかのように長門の手が急須に伸びた。 待て、お代わりが欲しいんじゃないんだ。 あまりここでのんびりしてると帰る方法がなくなる。今日は自転車で来ていないんだ。 犯人はいったい誰だったんだ? 頼む、俺を指差したりするなよ? 「犯人という言葉に該当する者は居ない」 ……自然現象だったって事か? 「その表現でも間違いではない」 なるべく簡単に説明してもらえるか? そしてできれば手短に頼む。 「涼宮ハルヒは神の存在を認めていない、しかし神という存在が持つであろう力は想像している。その力は自らの思うがままに 世界を作り変える力。彼女の力は神という存在にそんな力を与えた」 与えたって……。 神様なんていないんじゃないのか? 「確認されてはいない」 まあ、そうだけどさ。 悪魔の証明みたいなもんで、居るという証明ができなければ存在しないって事にはならないのか? 「殆どの人間はそう考え、同時に存在していて欲しいとも願っている」 確かに……。 「そんな不確定な筈の存在でしかない神を、大勢の人間が一つのイメージで認識するゲームが存在した。そのゲームは100万人 以上の人間がプレイし、結果多くの人の認識の中で神は一つの形になった。それが、彼。三年前のあの日、惑星レベルの 情報フレアの中で涼宮ハルヒの認識に従い、多くの人間の中で「神」と認識されていた彼もそれなりの力を手に入れた。ゲームの中 の彼は退屈していた、自分の想像するストーリーを超えるような冒険者がいつまで経っても現れなかったから。彼は自分を心から 楽しませるような存在が現れる事を願った」 ……でも、それは所詮ゲームの中の神様なんだろ? それがなんであんな事になったんだ? ゲームの世界に引き込まれるなんて事が起きたら、普通は失踪事件とかになるだろ。 「統合思念体は彼とコンタクトする事を望んだ。しかしゲームという制約の中の彼からは有益な情報は得られなかった。急進派は 彼に暫定的に現実世界に対して干渉できる力を与えた」 ……って事は何か? お前の上司の誰かが、ゲームの中の神様に余計な力を与えたって事か? 俺の質問に長門はうなずいた。 ……もしかして、その急進派ってのは朝倉を送ってきた奴と同じ奴か? それなら一発殴ってやらないと気がすまない。 「力を得た彼は自分が望むような存在が現れるのをじっと待った。その条件に適合したのは、涼宮ハルヒ」 あいつは予想の斜め上を行くのが基本だからな、製作者としては見ていて飽きないだろうよ。 じゃあ、お前があのゲームに興味を引かれたってのは 「ゲームから涼宮ハルヒの力に近い何かを感じた」 ……やれやれ、意思があるだけハルヒの描いた絵よりも性質が悪いぞ。 それであいつはどうなったんだ? またこんな事が起きたりするのか? 長門は首を横に振る、神のその後については長門は答えようとしなかった。 まあ、同じような事が起きないならそれでいいさ。 なあ、ここからは秘密の話なんだが。 まて、秘密の話をするにしても、だ。 ……俺がここで話す言葉ってのは統合なんとかってのにも聞こえてるのか? 「手に入れた情報は統合思念体に全て報告している」 そうなるとまずいな……。 それってなんとかなるか? 内緒話というか秘密の話をしたいんだが。 俺の言葉を聞かれても、長門は何故かすぐには答えてくれなかった。 まずい事をいったのか? と俺が思い出した頃になって、 「秘密にする」 長門はそう呟いた。 俺はコタツの向かいに座る長門の目を見ながら話し始める。 ……俺を殺さなくて大丈夫だったのか? 俺の言葉に長門は何も反応を示さなかった。 お前の上司は、あの場所に居たハルヒと神以外の存在を消せって言ってたんだろ? それなのに俺の手助けをしちまったら 色々大変なんじゃないのか? 今度は返事があった。 「大丈夫」 本当か? どう考えてもまずいと思うんだが……。 「あの時、情報連結は不安定な状況だった。貴方を殺害する為に発砲した直後に「連結は完全に途切れてしまった」事にした。 神が貴方によって消去された事は統合思念体に報告していない。ゲームセンターに戻った後、ゲームの世界に入る前の状態まで 情報を改竄。情報連結を復元して、涼宮ハルヒは現実に戻り神は消滅した。と事後報告した」 よくわからんが……つまり誤魔化したって事か? 長門はあっさりとうなずいた。 それってばれたりしないのか? まあ、お前が本気で誤魔化そうとすれば普通は誰も見破れないと思う。 でも相手はお前の上司なんだろ? 色んな可能性を考えているのか、しばらく沈黙した後に 「貴方が、秘密にしている限り」 長門は、そう付け加えた。 何故かはわからないが、長門は聞かれるまで黙っている事はあっても俺に嘘をつかないと信じている。 だからこの時も俺は長門の言葉をそのまま信じる事にした。 じゃあ2人だけの秘密だな。 俺はテーブルの上に右手の小指を差し出した。 長門は指の先を見てじっとしている。 ああ、知らないのか。 長門、右手の小指を出せ。 言われるままに差し出された長門の細く小さな小指に、俺の小指を絡ませた。 軽く手を上下してみたが、長門はじっとされるがままになっている。 これは、約束を守る時にする御呪いみたいなもんだ。 万能元文芸部員は不思議そうな顔で、俺と絡ませている自分の小指をいつまでも見つめていた。 涼宮ハルヒの欲望 Ⅴ ~終わり~ その他の作品 ~後日談~ 週明け、これからはじまる一週間を考えていつもなら軽く憂鬱になるはずの登校中、俺はそれなりに機嫌が良かった。 平凡な日常に戻れたという事実、それだけで幸せを感じられる程に昨日の出来事は非日常過ぎたからな。 「おい~っす、なんか機嫌いいな?」 俺の肩を叩く谷口にも笑顔を返してやれるほどに俺は寛大な気持ちになっている。 たまにはのんびりした日常もいいもんだって思ってな。 「あ? 何言ってるんだお前。変な物でも食ったんじゃねえのか?」 気にすんな。 もしかしたら、こうして俺がのんびり歩いている間にも東京は朱雀に襲われているのかもしれない。 でもまあその時はその時だ。 昨日の俺達がいずれなんとかしてくれるだろうさ。 「……おい、本当に大丈夫か?」 薄く曇った灰色の空を見上げて微笑む俺を、谷口は不審そうな顔で見ていた。 いつもの教室、いつもの机。 「おはよう」 いつもの俺の後ろの席。ハルヒがそこに居た。 今日はちょっと変な顔をしている。 何か言いたそうな、言ったらばかにされそうな、でもいいから聞きなさいよと言いたげな……とまあそんな顔だ。 どんな顔だそれは、と言われれば迷わず俺を見上げるハルヒの顔を指差してやろう。 おはよう、今日も早いな。 月曜の朝にそんなに早く登校できる理由を教えて欲しいね。 席に座った俺にハルヒが詰め寄ってくる。 「あのさ、昨日のあれだけど……あれって本当にゲームだったの?」 ……。 ゲームをクリアして現実に戻れたらこいつをどうやって誤魔化そうか、阿修羅と戦うまでの俺はそればかり考えていた。 しかし、エンディングかと思ったら製作者が登場して戦闘になり古泉と朝比奈さんは混乱して、長門は寝返るしお前は 目潰しくらっちまうという状況で……言い訳はよそう、忘れていた。 「なんか釈然としないのよね……リアル過ぎたっていうか。説明できない事ばっかりだったもの」 さ、最近のゲームは凄いからな。 あまり余計な事は言わないほうがよさそうだ。 「……」 当然ながら俺の苦しい言い訳では納得できないらしい。 ハルヒ。 あれがゲームかどうかはおいといて、だ。 「何?」 俺が気になってるのはそこじゃなくて、お前の考え方なんだよ。 お前、誰かに決められたストーリーのゲームと、誰にも予測ができない現実ではどっちが面白いと思う? ハルヒの顔が当たり前でしょ?と言いたげな顔に変わる。 「そんなの、現実に決まってるじゃない」 そうかい、それならいいんだ。 俺は安堵しながら視線を黒板へと戻した。 「なによそれ」 お前が「ゲームの世界のほうが面白い」なんて認識になってないか不安だったんだよ。 放課後、掃除当番を終えた俺は朝比奈さんにも今回の事情を話しておかないといけないな~等と考えながら部室へと向かった。 別に長門に直接話してもらってもいいが、朝比奈さんは長門と2人っきりになるのはまだ怖いみたいだから俺が行くしかないので あろう。無論、せっかく朝比奈さんと2人っきりでお話できるチャンスを古泉にくれてやる気など欠片もない。 「ど~ぞ~」 元文芸部の扉をノックするとハルヒの声が返ってきた。 扉を開くと、部室にはPCの前に座るハルヒとその後ろに立つメイド姿の朝比奈さんが居た。 古泉が居ないのはよくある事だが、長門が居ないってのは珍しいな。コンピ研にでも遊びに行ってるんだろうか? 「ねえキョン、昨日転送したはずのみくるちゃんのコスプレ画像が届いてないのよ。あんた知らない?」 ハルヒが睨みつけるモニターを見てみると、メールの受信箱に未開封のメールは無く、既読にもそれらしいメールは無かった。 お前が送信先アドレスを間違えたんじゃないのか? 「そんなはずないんだけど……おかしいわね」 リロード繰り返したりごみ箱を確認したりしているハルヒの後ろで、朝比奈さんは苦笑いを浮かべている。 まさか、朝比奈さんがお昼休みに部室に来てこっそり削除しておいたとか。 俺の思考を読んだのか、朝比奈さんが慌てて口元に人差し指を立てる。 あらら、正解ですか……そうですか……。 俺は落胆する本音を隠しつつ、ハルヒにはばれないように朝比奈さんを真似て口元に指を当てた。 後でコンピ研の部長氏の所に行ってみよう、削除されてしまったデータの復元方法を知っているかもしれない。 小さな音を立てて扉が開き、無言のまま部室に入ってきたのは長門だった。 いつものようにハードカバーの並んだ本棚から迷う事無く読みかけの本を取り出し、定位置の窓際の椅子へと歩いていく。 「お茶、入れますね」 朝比奈さんが茶器セットへと向かい、長門はしおりを挟んだページから読書を再開する。 ハルヒはまだPCと格闘中だ。壊すなよ? その内古泉の奴も来るだろう――俺はいつもの日常が完全に戻った事を実感しながら自分の席へと戻った。 パイプ椅子に座り、朝比奈さんのお茶を待つこの時間こそが幸せってもんさ。 モニターを睨んでいたハルヒの視線が俺の方を向いている事に気づいてしまったが、気づかない振りをしておく。 ……どうせすぐに非日常になるんだろうけどな、それまではこののんびりとした時間を楽しませてくれよ。 「はい、お待たせしました」 優しく微笑みながら朝比奈さんが、いつものようにお茶を持ってきてくれた。 やはり朝比奈さんに一番似合う服装はメイド服だと確信せざるをえない。 お茶配ったのは俺が最後だったので、空になったお盆を持ったまま朝比奈さんは感想を待っている。 「ありがとうございます。美味しいですよ」 俺のありきたりな言葉に嬉しそうに微笑みながら、朝比奈さんは茶器セットを片付けて俺の向かいに座った。 どうかこんな幸せな日常が少しでも長く続きますように……。 神様はバラバラにしてしまったので、俺は代わりに目の前に居る可愛い天使にそう祈った。 「あ、キョン君。ちょっと見て欲しい物があるんです」 そう言って朝比奈さんがいそいそと鞄の中から取り出したのは、小さな半透明のケースに入った灰色のゲームソフトだった。 「懐かしいですね、ゲームボーイのソフトじゃないですか」 「え?なんですかそれ」 そうですか、ゲームボーイを知らない年代ですか……って貴女は俺より年上なんですけどね。 「昨日、家に帰ったら鞄の中にそれが入ってたんです」 どうやら箱と取扱い説明書は無いらしい。 タイトルを見ようとソフトを手に取ると、俺の肩越しに顔を出したハルヒがそのまま持ち去っていく。 「SaGa2秘宝伝説……。キョン、これってもしかして昨日のゲームの続編?」 ハルヒは俺の肩を掴んで揺さぶっていたが、俺は中々振り返る気になれないでいた。 涼宮ハルヒの欲望2 へ?
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/5273.html
※このSSは、大槻ケンヂさんの小説「ステーシーズ」を元ネタに書いています。 そういうのがダメって言う人にはすいませんです。 「あんただけなんだから、こんなこと頼めるの」 学校へ向かう坂道の途中で、ハルヒはくるくると笑いながら言った。 ぼんやりと歩く俺の前で、まるで糸の切れた凧みたいにふわふわしている。 秋の風がかさかさに軽くなった木の葉を掃き散らしながら過ぎていく。 「心配しなくても、ちゃんと再殺してやるさ」 「イヒヒ、頼むわね」 その時丁度、俺はいつだったか本で読んだ「一生、死ぬまで離さない」という言葉の無責任さについて考えていたので、もう何度も何度も聞いた彼女の台詞に、ほぼ無意識で返事をしていた。 「死ぬまで」だけだなんて、悲しいじゃあないか。 なーんてね。無責任だな。 ふたりして律儀に内履きに履き替えて、耳に痛いほどしんとした校舎を歩く。 ぺたぺたという俺の足音と、舞うような軽快なハルヒのステップだけが響いては消える。 薄く空全体を覆う雲のせいでどんよりと暗いが、今はまだ午前中、普通なら3限目の現代文を受けているような時間だ。 最後に受けた授業では 何を読んでいたっけ。舞姫だったかな。昔の小説はあんまり好きじゃないんだよな、あれは特に暗いし。宮沢賢治のやまなしだっけか。あれは好きだったな。意味わからなかったけど。 やまなしを読んだのは一年の時だっけか。いや、中学の頃だったかしらん。現代文はいつも睡眠時間だったから記憶が曖昧だ。 現代文なんて勉強しても点数が伸びない派の俺ががっつり寝る体勢に入ると、勉強しなくても点数がとれる派のハルヒに脇腹辺りをシャーペンでつつかれて、よく邪魔されていたな。 今俺の目の前で、幸せそうに、すごく幸せそうに笑うハルヒは、 そう、サワガニの兄弟の言った「かぷかぷ笑った」という描写が一番しっくりくるんじゃないだろうか。 一人で納得しているとハルヒは俺に向き直り、 「何ぼーっとしてるのよ。まったくあんたは」 現代文の授業の時と似たような台詞を、ニアデスハピネスの微笑みで。 ハルヒはもうすぐ死んでしまって、 さらにもうしばらくして、醜い姿をさらし人肉を求めて動き回るステーシーになる。 学校が機能しなくなってから久しいので日にちの感覚が曖昧で確かかどうかはいまいちだが、あれはたしか一ヶ月、つまり大体30日くらい前の事だ。 放課後の部室、朝比奈さんが新しく買ったという葉っぱでミルクティーを入れ、 俺と古泉が2人でダウトという暴挙に出て、 長門がいつものように鈍器クラスの本のページをめくり、 ハルヒがパソコンをいじりながらあくびを殺して殺して殺しまくっていた、いつもとおなじように時間の流れる日だった。 俺がゲームが終わらないという危険性に気付きながらもダウトを続け、朝比奈さんがかわいらしーくくしゃみをしたとき、弛緩しきった部屋の中で急にガタンと音がした。 またハルヒが騒いでなにかやらかそうとしているのか、と面倒ながらも目向けるが、 なんだ容疑者候補だったハルヒも目を丸くして口を開けているじゃないか。 その視線の先には、凶器になりそうな厚みの本を抱えたままパイプ椅子から転げ落ちて、ピクリとも動かない長門があった。 状況がつかめない焦りと、長門に対する心配と、パンツが見えそうだという雑念でごちゃ混ぜになった俺が当惑していると、 長門はよろよろと立ち上がり、何事もなかったかのように、 いや違う。何物か遠くの物を睨むようにして、目を見開いていた。 4人の驚愕の視線を浴びながら、長門は微動だにせず、ぼうっと突っ立ったままだった。 何かの冗談だろうか。 あれだ、また朝倉かなんかそんな感じの敵っぽい奴がやって来たのだろうか。 だとしてもハルヒに勘づかれるようじゃ駄目だろう。 見ろ、怯えたような顔でお前を見ているじゃないか。 「おい長門、一体どうし」 「あははは」 「あはははははは」 「あはっひイヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ ヒ皮膚ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ ヒヒヒヒッイヒヒキ嬉嬉嬉嬉嬉嬉嬉々ィヒヒヒッヒヒ ヒヒヒヒ嬉卑卑ひヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!」 紐を引いたらがたがたぶるぶる震え続ける人形、あれってどういう名前なんだろう。 自分の舌を血だらけにしながらぐりんぐりん笑う長門を見て、俺はただただ呆けたように立つ他にすることがなかった。 いつもの冷静沈着で無口なお前はどこに行ったんだ、 お前は。 「有希!一体どうしちゃったのよ!」 泣き出してしまった朝比奈さんを母親のように抱き締めながら、ハルヒは泣きそうに長門に言う。 何もできないでいる俺は、古泉が長門に駆け寄るのをぼぅっと見ていた。 「長門さん、どうしたんです!しっかりしてください!」 ケタケタケタ笑う長門の肩に手を置いて、古泉は諭すように言う。 あぁ頼りになるな、俺なんかと違って古泉は。流石日々世界を守っているヒーローだな。 お前、自分の好きな女の子がケタケタ笑い震えながら、大声で意味のわからないことを叫んでいても冷静ではないにしてもちゃんとした対応ができるなんて。 流石だな。 「長門さん!」 懇願するような古泉の声が届いたのか、コマが回転を止めるように、ぜんまいが切れたブリキの玩具みたいに、少しずつ静かになった。 「…長門さん」 そういって安堵に微笑む古泉に、長門は微笑み返す。 整った白い歯を見せて、目をぐるんとむいて。 薄紅色の柔らかそうな唇をそっと開き、 もたれかかるように抱きついて、 古泉の首筋にかぶりついた。 「あっああぁぁぁぁあっ痛っあああぁイっ」 古泉に突き飛ばされパイプ椅子にからまって転んだ長門は、口の中で自分の血と古泉の血とをぶくぶく混ぜて吠えていた。 「イタイイタイイツキッイタイヨイタイノイツキイタイイイイタぁぁぁっ 」 だらしなく開いた口からは激しく暴れまわる舌が飛び出て、床に泡立った血を撒き散らす。 肩口を押さえて息を切らしている古泉の制服は赤黒く染まっていて、俺もハルヒも二人を交互に見てあわてふためいていた。 朝比奈さんは、ハルヒの足元にこてんと座り込んで、涙でぐちゃぐちゃの顔一杯に疑問符を浮かべていた。 「おい、長門」 ようやく出てきた声は多分ほとんど聞き取れないようなものだったろう。 それでも長門は俺を見てカタカタと笑った。 ひんむいた白目でちゃんと見えているのかどうかは疑問だが、長門はゆっくり立ち上がって俺たちの方に歩いて来る。 やばい。 何かは知らんがやばい。 何故とかどうしてとかそんな場合じゃない。 「ハルヒッ!朝比奈さんを連れて逃げろ!」 固まったまま動かない朝比奈さんとハルヒがばたばたとうるさく部室から出ていく。 長門は依然かわりなく、糸のもつれた操り人形みたいに足をガクガク動かしてゆっくりと俺と古泉に近付いてくる。 「古泉、なんなんだこれは」 「…僕が…聞きたいくらいです」 そーかい。 またハルヒの力のせいか?だとしたら何を思ってこんなことを望んだ? 畜生、畜生。 長門は笑う。 俺は今にも泣いてしまいそうだ。 なぁ長門、俺はどうすればいい? 何かあったときにいつも助けてくれていたお前を、今俺はどうしたらいい? ************************ ハルヒは遊園地のアトラクションへと急ぐ子供のように、部室への廊下を走る。 あちらこちらに砕けたガラスや風に乗ってきた枯れ葉や血の跡が見られる。 たった1ヶ月くらい放っておくだけでこんなになるとは。 かったるかったが、やっぱり毎日掃除するのって大切だったんだな。 こんな状態だったなら土足で来ても変わらなかったかもな。 「久しぶりね、ここにくるの」 そうだな、ハルヒ 「前までは毎日くらい来てたのにね。 少しくらい懐かしい気分になるかと思ったのに、 なんだかそんなこともないわね」 まだ俺らの中で当たり前の感覚なんだろう。そう言うと、ハルヒはまたかぷかぷと笑った。 「色々あったって言うのに。 イヒヒヒヒ、変わらないなんてね」 すまんハルヒ、俺はちょっと嘘をついている。 俺は、前と同じ気持ちではここに立てないんだ。 でも、きっとそれは、気付かないだけでお前も同じだろう、ハルヒ。 ****************** がしゃん、ばりん、ぶつん。 狼狽しきりだった俺の目の前で、窓ガラスが割れて、 何かが転がり込んできて、長門は赤い線で上下二つに別れた。 があっ、 と血を吐いて長門の体が長門の足に背中から崩れ落ちる。 うどんの玉を落としてしまったみたいな音がして、床には赤黒い水溜まりが広がる。 血にまみれ真っ赤なチェーンソーを持った朝倉涼子が、 制服に血がついてシミにならないかを気にしていた。 「…朝倉?」 「ねぇキョンくん、背中とか髪とかに血、付いてない?大丈夫?」 シミひとつない青いスカートと長い髪を翻し、朝倉は言う。 チェーンソーはどるんどるんと図々しく鳴って、部屋を油臭くする。 血の臭いと混ざって、交通事故現場みたいな臭いになる。 朝比奈さんの入れてくれたミルクティーがひっくり返ったのだろうか、 いやに甘い臭いが肺を苛々させた。 脳の中がぐちゃぐちゃになって、言いたいことは言葉にならなかった。 俺は酸素が足りない金魚みたいに口をパクパクさせていた。 誰かが答えをくれないだろうか、と。 「思いきったことやるわね、長門さんとこの上司も」 「なんでお前がここにいるんだ、なんで長門はこうなった、 なんで長門を殺したんだ」 「そんなにがっつかないの、ちゃんと答えてあげるから」 朝倉はチェーンソーを構え、俺に笑いかけながら言った。 「殺しちゃいないわよ、元々死んでいたんだもの」 びちゃりと音が足元でなる。 赤い水溜まりのなかで泳ぐ蛙みたいに、長門の上半身は俺を睨んだ。 微笑んだ長門の口は、両端が裂けていた。 いくら食いしん坊だからって、それはないだろう長門よ。 「ちょっとでいいから、下半身の方よろしくね」 見ると、長門の腰から下は上半身とは別の方向に向かうように暴れまわっていた。 何度も蹴られそうになったが、下半身だけでは威力が弱いので すぐに両足首を捕まえて長門の白くて細い足を黙らせることができた。 「よし、じゃあ見ててね」 朝倉はそう言って、爪を立てて這いずる長門の首を踏みつけて、 どるんどるんうるさい機械で容赦なく解体を始めた。 突きつけられたチェーンソーは、切り裂くと言うよりは 引きちぎるように長門を細かくしていった。 朝倉が新しい破片をつくるたびに、 長門の足は逃げ出そうと激しく暴れた。 なぜかなんて聞いたって、朝倉は何も答えてはくれないだろう。 大好きな恋人にグラタンを作ってあげているときの笑顔で 長門を殺し続けている朝倉は、 きっと他の誰かの言葉なんて聞きやしないだろう。 「いつかあなたもやらなきゃいけないかも知れないんだからね」 これがグラタンの話ならばよかったのに。 朝倉があまりに手際よく長門をバラバラにしていくので、 気づいたときには俺の手には長門の足首しか残っていなかった。 それはまな板の上の魚みたいに弱々しく跳ねていた。 床ではさばきたての新鮮な肉が、ひくひくと蠢いていた。 白い指が何かを探すように床を引っ掻いていたが、 朝倉がそれを踏みにじる。 俺の手に残っていた内履きは、それきり動かなくなった。 最初は返り血を気にしていた朝倉も、 今では赤黒く染まっていない方が少なくなっている。 空回るチェーンソーを携えて赤い池の中に佇む朝倉を見て、 俺はエリザベート・バートリとかいう吸血鬼を思い出していた。 吸血鬼を探そうとか言ってたときに、古泉が持ってきた資料に載っていた。 全く、美しくなんか、ない。 血を白い頬に伝わらせて、 恍惚している少女に、俺の心は、 ときめいたりなんか、しない。 「なんなんだ、これは」 チェーンソーの音が止まる。朝倉が俺の目をまっすぐ見る。 「飽きたんですって」 やれやれ、とため息混じりに言った。 「地球外生命体、つまり宇宙人っていると思う?」 そりゃ、お前や長門がそれだろう。 「違う、違う。あくまで有機生命体の話よ」 いる可能性は全くのゼロじゃないらしいが、だからなんだって言うんだ。 朝倉は淡々と語る。 「情報統合思念体は、この地球に生息する知的生命体を発見していたの。 それこそ高度な文明を築くものもいたし、程度の低いものもいたわ。 涼宮さんの監視を始めた少し後に、そのうちの一つから涼宮さんのそれと 似たような規模の情報フローが確認されたらしいの。 それは、私たちには知らされていなかったけどね。」 ハルヒみたいなやつがもう一体いるのか。 じゃああっちにも俺らみたいに振り回されてるやつがいるかもしれないんだな。 いや、そんなことじゃなく、 「はじめのうちは規模、頻度共に涼宮さんの方が 上回っていたから比較的そっちは軽視してたんだけどね、 最近は涼宮さん、すっかり落ち着いちゃったじゃない?」 それは俺や朝比奈さんや、 古泉と機関の人達の努力の賜物だ。それがどうした。 朝倉が何を言いたいのか、 情報なんたらとかいうやつの思惑が何か、まだ掴めない。 「だから、飽きちゃったんだってさ。涼宮さんに」 「もうひとつの観察対象からはすでに一定のデータを集めていて、 進化のヒントの糸口みたいなものが見つかるかもしれないんですって」 朝倉はどうでもよさげに言う。 「で、涼宮さんはこの調子。 突拍子もないことをやらかしたり、世界を滅ぼしかけたりしたくせに、 成果は残念。 下手したらあっちの観察対象にも悪影響が出るかも、 ってことで観察は打ち切り。はやいとこ片付けちゃおうってなったの。 腹いせに人類ごと」 意味がわからない。言っていることはわかるが、理解できない。 「それで主流だった長門さんの上司が採用した方法が、これ」 足の先で長門だったものをこねくりまわす。 「15,16,17歳の少女が突然死、その後ゾンビになって人を襲うようになる。 そんな奇特な病気を作って、自分の管理下においている インターフェースをきっかけにアウトブレイクさせる。 なかなか酷いやり方だと思わない?」 そう静かに話す少女の眼はキラキラと濁り輝いていた。 「それでね、ただゾンビにするだけってのも趣がないからって、 適当に色んな設定を追加したらしいのね」 少女たちは死ぬ前に気が狂ったように充足、幸福を感じること。 そして死ぬ前の少女たちは死に対して肯定的になること。 ゾンビになった少女は165個の塊に切り刻むまで動き続けること。 少女たちは何の前触れもなく発病するが、体液からも感染すること。 その他諸々素敵なオプションをつけて。 そのどれもが、混乱を巻き起こすのが目的の悪意に満ちた腹いせだという。 「…なんで、こんなことをしなきゃならないんだ! 見切りをつけるにしても、他にやりようがあるだろう!」 「知らないわよ。強いて言えば、暇潰しじゃない?」 こともなさげに朝倉は言う。 「理不尽な死なんて、普通に生きていても 誰にでも起こりうるものなんだから、 納得して諦めたら?」 「…はいはいそうですか、なんて素直に納得できるはずないだろう」 「納得しなくてもなんにも変わらないんだけどね」 朝倉は俺に笑いかける。 「、ちなみに、感染してゾンビになるのは女の子だけ。 その他の場合は」 すっ、と 古泉の方を指差す。 「ああなるから」 床に転がった古泉はすでに呼吸をやめていた。 廊下から甲高い悲鳴が飛び込む。 「キョンッ!」 しまった。 ハルヒを廊下に逃がしたが、それだって安心だっていう保証はないんだ。 廊下一杯に溢れる女子生徒のゾンビが思い浮かぶ。 畜生。 「ハルヒッ!」 乱暴に扉を開く。 ハルヒの腕をつかみ、部室に引っ張りこむ。 「ハルヒ、大丈夫か、何があった」 ハルヒは肩を小さく震えさせ、奥歯がカチカチと鳴っている。 その肩を抱き締める。 「……る……、………んが」 虫の羽音みたいな声が震えている。 「……みくる、ちゃんが…………」 ハルヒの手には、見慣れた安っぽい衣装があった。 「みくるちゃんが、消えたの、突然、急に、目の前で、突然」 その事実が示す先の絶望を知りながら、 俺はただただハルヒを抱き締めることしかできなかった。 「……ははっ」 耳元で、 「……あはははっ」 笑い声がした。 「あはははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははは」 俺はハルヒを強く抱き締めることしかできなかった 「あははははははははははははははははははははッ 死ぬのね、私、死ぬのね今からウキウキしてきちゃった! どうしましょう!今から準備していかなきゃ! 何が必要かしらね?イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ どんな風がいいかしら?ロマンティック?バイオレンス? 今の時代いろんな前例があるってのが嬉しい反面、 画期的なものが出尽くした感があるわね!どうしましょう!」 ハルヒ。 「そうよ!そのときはキョンも手伝ってくれるわよね! 退屈な、誰とも知らないような人間に看取られたり 病院のベッドでおとなしく消えていくなんて嫌だもの!」 ハルヒ。 「大好きな人に抱き締められながら死ぬなんて、 ありきたりだけどやっぱり憧れるわよね!イヒヒヒヒヒ! 王道ってやつもたまにはいいわよね!ねぇキョン! イヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!」 ハルヒ。 大好きだ。 ***************** ドアノブを回し、ゆっくりと部室の扉を開く。 美術との格闘の末に気を違えてしまった芸術家のアトリエみたいに、 床や壁は赤黒い前衛的な模様でいっぱいだった。 30日くらい前、朝倉はここで長門を165個の肉塊にした。 30日くらい前、古泉は長門に噛まれてここで息絶えた。 30日くらい前、朝比奈さんと一緒に俺たちの未来が潰えた。 あの後、気が付くと朝倉はチェーンソーを残して消えた。 俺に何かを期待してのことだろうか。 しばらくして、校舎のあちらこちらから悲鳴が上がり始めた頃、 森さんと新川さんがヘリに乗ってやってきた。 古泉の死体を載せ、俺とハルヒを乗せて学校から逃げ出した。 機関は閉鎖空間が発生していないにも関わらず突発的に 起きたこの状況に混乱しきっていて、なんとか対策をと思い俺を頼って来たという。 俺は、朝倉に聞いたすべてを隠した。 ハルヒがこうなった以上、 全てが無意味になったとなんとなく感じていた。 そわそわふわふわしているハルヒを不審に思われる前に、俺はハルヒの手をひいては歩き出した。 その日の夕方には、政府から的を得ない発表があった。 危険ですから、少女の死体に近づかないでください。 現在、政府の関係機関が調査を進めています。 どうか取り乱したり混乱を招くような行動はしないでください。 世界中で同じような現象が確認されているようです。 WHOはこの事態に対して云々。 俺はそのニュースを、逃げながら隠れながら携帯ラジオで聞いていた。 少女の突然死に混乱した街は、 少女の復活とゾンビ化によってさらに混乱し、 大衆は暴徒に変わった。 まずはじめに、少女たちを片っ端から殺す輩が現れて、 結果としてはゾンビの数を急速に増やすことになった。 突然死した少女を凌辱する輩が現れた。 少女と交わった男たち(あるいは女たち)は、 少女たちの孕む毒によって次々と死んでいった。 一週間ほどして、研究者たちがサジをなげ、 何もできなかった言い訳みたいに 少女たちのゾンビにステーシーと、 少女たちが死ぬ前に見せる狂ったような幸せそうな状態を ニアデスハピネスと名付けることで自尊心を保とうとした。 その頃には、自衛隊が独断でステーシーの再殺の手段を発見し、実行し、 民衆もそれにならって自警団のようなものを組織しはじめていた。 自衛隊や自警団からハルヒを連れて逃げてきて、 こうしてまた部室に戻ってきた。 ハルヒが言うのだ。 「わがままだとは思うけど、私も、 みんなが死んじゃった部室で死にたいの」 「それで、キョンがそばにいてくれて、 看取られながら幸せに死んで、蘇ってもキョンに殺してもらうの。 イヒヒヒヒヒ、とても幸せな最後だと思うの」 古泉が前に言っていたな。ハルヒが死んだら世界が滅ぶかも知れない、って。 それが本当だろうが嘘だろうが、どうせ世界が終わるんだ。 ハルヒが望むようにしてあげよう。 その日もハルヒは死ななかった。 聞くところによると、ニアデスハピネスが現れたら なにもしなくても数日のうちに突然に死んでステーシーになるという。しかしハルヒはあの日から今日までずっとこの調子だ。 今思えば長門は死んですぐだった。 ずっと、ずっとこうならいいのに。 その日の夜は、部室で過ごした。 ハルヒは部屋の隅で毛布にくるまって、俺は椅子に座り机に突っ伏して。 長門と古泉の血の跡がすさまじいが、それ以上のものを 飽きるほど見てきた。この程度で眠れなくなるなんてことはない。 だのに、なのに、眠りに落ちる直前に涙が溢れだして、 呼吸が辛くなって、簡単には寝かせてもらえなかった。 泣きつかれて眠るなんて、 まるで餓鬼だ。 ******************** 「と、こんな夢を見たんだが」 昨日見た夢の話なんてどうでもいいことを、たっぷりと時間をかけて話した。 しゃべりすぎて喉が乾いた。 すっかりつめたくなったお茶は、今の喉にとっては好都合だった。 「ふえぇ、なんだか怖いですぅ」 朝比奈さんはお盆を抱え込んで、涙目になって怯えている。 「んふっ、何か悩みでもあるんじゃないんですか?相談なら乗りますよ」 机を挟んだ向こう側で、古泉が気持ち悪く微笑みながら言う。 それよりも速く次の手をさせ。どのみちもうすぐ投了するしかないんだ。 「………」 長門は無反応。黙々と読書を続けている。 せめて、目線ぐらいくれたっていいだろうに。 「悩みの種ならピンポイントで思い当たるんだがな」 「おや、一体何なんです?」 お察しの通り、今ここにいない誰かさんに関することだ。 古泉は苦笑する。 「そういえば、やつはまだ来てないのか」 「私は何も聞いてませんけど…」 「同じく、です」 うむ、なんだかとてつもなく嫌な予感がするんだが… その時、バタンとでかい音がした。 ********************** その時、バタンとでかい音がした。 寝ぼけた頭がくらくらする。 外はもう明るい。 一体何時だ、それより今の音はなんだ。 慌てて部屋を見渡すと、団長の特等席をひっくり返して ハルヒが仰向けに倒れていた。 頸動脈を切られ血抜きしている最中の羊みたいに、 ハルヒはガタガタと痙攣する。 ああ、時が来たんだ。 もう、ずっと、ずっと前から覚悟してきたことだ。 ハルヒは今ここで死ぬ。 死んだ後、もう一度歩き出すハルヒを俺はチェーンソーでちゃんと最後まで殺す。 責任をもって、殺してやる。 ハルヒはぐりんと目をひんむいて、 絶頂にも似た表情で、舌を突き出して、 涎を撒き散らしながら。 その姿さえも、目をそらさず見てやる。 最期まで、ハルヒのことを見ていてやる。 それが俺の決めたことだった。 しかし、現に今こうやって悶えるハルヒを見るのは、 とてもじゃないが耐えられそうになかった。 吐きそうになった。 もう、すでに泣いていた。 あまりに激しく暴れまわるので、ハルヒの肘や拳には薄く血が滲んでいる。 痛いだろうに、 苦しいだろうに。 「ッッッあぁ」 突然体をつぴんと伸ばしきったかと思うと、 それきりハルヒは動かなくなった。 つー と、ハルヒのスカート辺りに透明な水溜まりができた。 死んで筋肉が緩んだんだ。どこかの本で読んだことがある。 死んでからとはいえ、ハルヒのお漏らしを見るとはな。 こんな状況の中で、常識的で間抜けな事が 起ったせことが、なんとなくおかしかった。 涙でぐちゃぐちゃになった顔で、ほんのすこし笑った。 ハルヒが死んで、部屋の中はそれこそ死んだみたいに静かになった。 いや、キリストみたいにまた復活するんだから、 まだ死んではいないのか?体はまた動く訳だし。 いや、でも、 ハルヒと同じ思考をもって動いてる訳じゃないから、 もうすでにハルヒは死んでいるのかな。 ふっと、悪い考えがよぎる。 ハルヒと同じ思考をしていない、 ニアデスハピネスの、虚ろでふわふわしていて、 俺に、素直に好きだと言ってくれたハルヒは、もうすでに別のものだった? …いや、違う。 ハルヒはハルヒだ。 いつもみたいにめんどくさいのも、 かぷかぷ変な声で笑って俺に寄り添ってきてくれるのも、 死んでしまって、ステーシーになって俺に襲いかかってきたとしても、ハルヒはハルヒだ。 死んでしまっても変わらない。 俺はハルヒが、 すん ハルヒの鼻が微かに動く。 ゆっくりと、突き出した舌が蠢く。 唇を湿らすように、くるくると円を描いて。 まず口から動き出すのは、その歯で肉を裂き、顎で骨を噛み砕き、血をその舌で味わうためだという。 長門じゃあるまいし、そんなに食い意地はって、みっともない。 ハルヒの眼球がぐるぐるぐると壊れた人形みたいに回る。 夢を見ている間、人の眼球はくるくる回るという。 ならば今ハルヒは夢を見ているのだろうか。 どんな夢を見ているのだろうか。 震えが振動になり、全身が忙しく蠢きだす。 スカートが翻り、白い腿がのぞく。 銀色のキラキラがきらめき、 部屋の中にミルクティーに似た甘い香りが広がる。 これはステーシーの体から分泌される鱗粉の香り。 それは、真昼の光で瞬き、美しかった。 ハルヒの肌が、体が、 輝いて見えた。 ハルヒの首がごきゅんと鳴り、それからゆっくりと上半身を起こす。 生まれたばかりのキリンのように、着実に立ち上がる。 俺は、朝倉の残したチェーンソーに手を伸ばした。 にこりと微笑んで見えたが、きっと俺の願望が作り出した錯覚だ。 ハルヒは死んでいるのだから。 そうだとしても、なぜか嬉しくなった。 さぁ、こっちにおいで、ハルヒ。 ちゃんと、最後まで愛してやるから。 報告書(記入者 森園生) 我々が北高文芸部室(通称SOS団部室)に到着した時点で、 少年Dは自警団の発砲によりすでに殺害されていた。 自警団は我々の到着する前に窓から逃亡した模様。 数発の銃弾を受けたステーシーが残されていた。 我々はステーシー特別対処規定に基づき、自警団を捕縛、ステーシーの処分を行った。 使用した装備は別紙に記載。 処分したステーシーが涼宮ハルヒのものであり、 また少年Dがその鍵であった少年だと発覚したのは、 ステーシーの処分後である。 以上
https://w.atwiki.jp/sosclannad9676/pages/15.html
涼宮ハルヒの憂鬱とは著者「谷川 流」による非日常学園コエディという認識が一般的である。 角川スニーカー文庫より、2003年6月から刊行された。イラスト担当はいとうのいぢ。 涼宮ハルヒが設立した学校非公式クラブSOS団のメンバーを中心に展開する、「ビミョーに非日常系学園ストーリー」であり、物語は、主人公である男子高校生キョンの視点から一人称形式で進行。 『涼宮ハルヒの憂鬱』は第8回スニーカー大賞を受賞している。その後、一部加筆訂正され、書店に並んだ。 2005年9月にはツガノガクによる漫画版が『月刊少年エース』にて連載開始。2006年4月よりテレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』が独立UHF局をはじめとする各局で放送された。2009年4月よりテレビアニメが2006年版の回に新作を加えて放送された。劇場版アニメーション映画『涼宮ハルヒの消失』は2010年2月6日より公開された。 全9巻におよび、刊行されており、憂鬱、溜息、退屈、消失、暴走、動揺、陰謀、憤慨、分裂、驚愕(前)(後)の順でタイトルが微妙に異なる。 長らく、発売延期(未定)となっていた驚愕は、2011年5月25日に2冊同時発売される。・・・予定である。